鏡像(11)「暗い部屋」
リリー

 老人ホームの裏庭の金網フェンスに取り付けられた鉄の門
 その下の開口部をくぐり抜けて道へ出る三毛猫

 「おはよう。朝ご飯もらえたの?」
 「やあ、おはよう。うん、今朝も猫ミルクとキャットフードさ。」
 サバトラ猫の鈴ちゃんは仲間のミキヘご挨拶
 厨房の賄い婦さんらが
 痩せてる彼を「ミキちゃん」と呼んでいる

 「ねえ、正門だけじゃなく…この門も日中施錠されるように
  なったみたいね。」
 「そうだね…。ついこの間までは、鍵かかっていなかったよね?」
 二人が不思議そうに話す疑問については次回、
 お話する事にしたい

 ×××

 「なあ、ミズノちゃん。今度さ、大津市民会館にNHKのど自慢来るらしいで。
  出てみよか?オーディション。我ら、xx老人ホームモップ隊、歌います!
  昭和なつかしのメロディー、松田聖子『赤いスイトピー』。」
 「そんな恥ずかし事、あだっさんしか出来ませんよぉ。」

 彼女は、去年入社した専門学校の卒業生で一番若い
 小兵力士の様な体格で普段から無口なのだが
 私といる時には「あだっさぁん」と呼んで
 「ハッハッハッ!」と白い前歯を見せて笑ってくれる

 廊下のモップ掛けを済ませて旧館一階の寮母室へ戻って来ると 
 廊下に聞こえる
 「ほっといてくれ!」
 「そういうわけにいかへんでしょう。」
 「出て行ってくれっ!」
 Bさんの居室から出てきた四十代の先輩と入れ替わり
 引き戸を閉めて中へ入った副主任

 寮母室では副主任の代行でチーママがミーティングを始める
 連絡事項の伝達を終え、皆が担当場所へ出向く
 私も 病室へ向かおうとすると
 Bさんの居室の引き戸を開けた副主任が
 寮母室の四十代の先輩を呼び
 「このお膳、下げてちょうだい。」
 配膳してあった口のつけられていない朝食のトレイを
 手渡した
 そして身体を清拭するおしぼりを受け取り
 また居室のドアを閉める

 「難しい人やわ……。」
 「けどな、あんなん言われたら、腹立つわ!」
 寮母室でチーママと二階を担当する五十代のベテラン、
 サードの先輩が珍しく愚痴る

 Bさんは独り身で面会に訪れる方の姿も無く
 集会室でのレクリエーションへ参加された事も無い
 ベット部屋で篭りっきり
 配膳する食事すら満足に摂ろうとせず
 嘱託医が点滴の往診をしているが
 このままでは痩せてますます動けなくなってしまう

 「お前らみたいな奴に、世話される自分が情けない。」
 俺の世話をするんなら、次長か主任、副主任を呼べ!というのが
 認知症ではないBさんの口癖だった

 当時の「寮母」や若い生活指導員では、Bさんに通院をして貰い
 臨床心理士のカウンセリングなどを受けていただける様な
 精神面で必要なケアを提供する事は出来なかったのだ
 


自由詩 鏡像(11)「暗い部屋」 Copyright リリー 2024-03-09 10:47:09
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