鏡像(5)「あだっちゃん」②
リリー

 「寮母さん、寮母さん。」
 タクシーの後部座席でフロントガラスに揺れるワイパーの
 雨しずくを見ているうちに眠りこけてしまった私を
 「もう着くで。」
 肩を叩き 起こしてくれたYさん

 彼女は筋ジストロフィーの初期症状で月に二度
 通院なさっており、その付添い業務である
 総合病院は予約受診でも午前中いっぱい費やしてしまう

 「あんた、疲れてるんやなぁ。かわいそうに。」
 「ありがとう。近ごろ、眠れへんのです。」
 どっちが介助されているのか、わからない
 Yさんの担当である私にとっては安らぎの時間だった

 老人ホームの午前のカリキュラムは館内清掃と洗濯
 入社三年目で腰椎椎間板症を患っており
 広いお便所や長い廊下のモップがけは
 きつい労働になってしまっていた

 Yさんは常に身辺へ目を配る必要のある入居者
 「ちょっと、Yさん。洗濯場にバケツ放りっぱなし!
  バケツん中で、洗濯物乾いたあるやないの。」
 廊下で他の入居者と雑談中の彼女を捕まえて
 声を掛ける副主任

 「あ、忘れてたわあ!干しといて。」
 「何言うてんの!自分でちゃんと、干しなさいよ。」

 介護保険制度が導入される以前の「寮母」とは、
 専門知識を修得し現在の国家資格取得する職員と違って
 近所のオバちゃんに似た存在だったのだ
 
 「ただいま。戻りました。」
 「お疲れさん!早く、昼食済ませて入浴介助の誘導頼むで。」
 昼食後の寮母室は、午後からのカリキュラムですでに忙しく
 曜日制で各棟の入居者が入浴出来るようになっていた

 風呂場で洗髪や身体を洗う介助の当番だった、あだっちゃん
 大浴場へ行く前に私は、
 脚が悪い為一階に住まう一般入居者のUさんの部屋を
 こっそり訪ねるのだった
 


自由詩 鏡像(5)「あだっちゃん」② Copyright リリー 2024-03-05 15:59:39
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