のらねこ物語 其の二十九「雪景色」
リリー

 近江屋の旦那様のお部屋で
 拭き掃除を済ませた おりん
 その書斎には お嬢様のお部屋にあった金魚の
 水草浮いた陶器鉢が移されていた
 今は 黒出目金と赤い琉金が数匹泳いでいる

 お嬢様は昨年、縁談が持ち上がり嫁がれたのだった

 おりんが縁側に来ると中庭で
 昼の休憩時間中の手代と若旦那様の御坊ちゃまが一緒に居て
 「それっ!」
 手代の手から舞い飛ぶはずの竹蜻蛉は
 上手く回らず砂地へ落ちる
 「なんだよお…!」
 つまらなそうな御坊ちゃまに
 「どうもすみませんねえ、何でだろうなぁ?…。」
 頭下げて苦笑いする一番年下の手代が
 それを拾い上げ 首を傾げる
 「あ、あの鳥!また鳴いてる。」
 嬉しそうな顔を手代へ向ける御坊ちゃま
 「はい。御坊ちゃま、うぐいすでございますねえ。」

 近江屋の隣のお屋敷に見える
 小ぢんまりした竹林 鶯の鳴き声は
 青く澄みとおる空に立ちのぼってゆくのであった

 「おりん。これ、さっき支店の丁稚どんがお使いに来て、
  こっちはあんたにって。清吉さんからだろ。」
 縁側へやって来た おきぬの目は笑っていた
 手渡された薄っぺらい茶封筒を懐中に蔵うと急いで
 女中部屋へ走る おりん
 それを衣装箱の着物の上にそっと置き蓋を閉めて
 また仕事に戻る

 三年前に開店した新店舗は、
 左甚五郎の木彫りの「眠り金魚」が評判を得て
 順調な滑り出しとなったのだ
 忙しい清吉とは、なかなか逢えず
 こうして手紙のやり取りをする公認の仲になっていた

 やがて季節は巡り その年の冬
 河原の橋の下
 まだ うす暗いうちに
 「うわっ、大変な雪だ!」
 目を覚ましたトラの声に
 彼の脇腹へ頭を埋めて寝ている女房は
 面倒くさそうに目を開けて
 「どれほど降ったのよお?」

 「そうだなぁ…。深さ五寸ほどかな。」
 顎へ手を当てて呟くトラに
 にゅっと、顔を寄せてくるのは
 二年前からヨリを戻した かつて家出した女房
 藁蓆で作った擦り切れた叺の寝床には
 三人の子供たちが身を寄せ眠っている

 「はば は、どれほどあるか分からん、でしょ。」
 女房が優しく笑ってそう言うと
 「ああ、そうだ。幅は、分からん。」

 ふたりは まだ鳥も鳴かない
 雪あかりの川辺を
 仲良く眺め見るのであった。
 
 
       (完)
 
 

 
 
 
 
 


自由詩 のらねこ物語 其の二十九「雪景色」 Copyright リリー 2024-02-24 16:58:20
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