のらねこ物語 其の二十八「赤提灯」
リリー

 「お前さんも一端の深川の、のらねこになったじゃねえか。」

 おきぬに勝手口の木戸を開けてもらって近江屋から帰るトラの前に
 表通りの天水桶の陰から現れる 長楊枝咥えたイワシ

 「あんたの縄張りに了解も無しに、すまなかった。勘弁してくれよ。」
 頭を下げるトラに
 「いいってことよ。構わねえさ。」

 人通り途絶えた表通りを何とは無し並んで歩く二人は
 通りの外れまで来ると 空き地に犬の五郎蔵が出している
 屋台の赤提灯を見つけた
 通りがかると いきなり屋台から呼び止める声
 「お、おい、お前トラじゃねえか!」

 「あ!ハチの父っつぁん。」
 古びた下駄を足元にひっかけ盃を手にする
 雑穀問屋の柴のハチ
 「元気にしてたのかい?」
 「ああ、元気だぜ。あれからタマには会ったのかい?」
 「おう、一度だけな。米問屋の若旦那に連れられてよ、屋敷に来たぜ。
  すっかり豪商屋敷のお姫様よ。」
 「そうかい。そいつは良かった。」
 ちょっと寂しそうなトラである

 「じゃあな。俺は先に行くぜ。」
 横にいたイワシが立ち去ろうとすると
 「お、そっちの旦那は、お前の連れかい?」
 イワシを見るハチ
 「ああ、そうだ。」
 「あんた、もしかして。あんたが、“空風のイワシ“…じゃないのかい?」
 ハチの言葉に 肩越しで振り向くイワシは黙って頷いた
 深川の のらねこの間で路地を走り抜けるイワシの姿は
 異名を取る程サマになっていたのである

 「一杯よ、やってかねえか?おいらが奢るぜ。おいオヤジぃ、
  二本浸けてやってくれ!」
 
 ハチが犬の五郎蔵と世間話を始めるとトラはおでん突っつきながら
 盃交わすイワシへ 清吉とおりんの事が口を衝いて出た
 自分とタマとの別れと重なってきて
 このまま離れて欲しくないのだと話す

 盃の酒をクイッと飲み干すイワシ
 「なるようにしかならねえさ。お前の気持ちは分かるけどよ。」

 夜風が一瞬だけ空き地の紙屑を巻き上げる 
 空には月が、照りもせず
 しづかに浮かぶだけであった


自由詩 のらねこ物語 其の二十八「赤提灯」 Copyright リリー 2024-02-24 01:45:39
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