森を感じながら木をみる
足立らどみ

大きな話題に(天災だとか、歴史だとか、戦争だとか、生命だとか、地球だとか)ばかり目がいってしまうと小さな大切なことを疎かにしてしまって日々の生活が雑になってしまうと考えて生きている人達のなかには、だから自分達は大きな話題はしたくないと考えている人が多いのではないか?

そうですね。大きな話題にのみ焦点を当てると、時には小さな喜びや重要な瞬間が見過ごされる可能性があります。そのため、バランスを取りつつ生きることが、充実感や豊かさを追求する上で重要な要素となります。

一般的に、人々が大きな話題に焦点を当てる傾向がある一方で、小さな重要な瞬間や事柄を見逃すことがあると感じる人達のささやかな日々の生活を踏み躙る鬼たちは、昔から居たのかもしれません。一見、知的なバランサーのinkweaverのお得意なバランス感覚で問題解決していこうとすることそのものがなまくらの大鉈となってしまい、彼を振りかざし、大と小を分けてしまうこと、頭の少しぐらいは良い学生さんの理想と現実を悩みもなく、単純明確に大小を峻別して分裂を決定的にしてしまうこと、枝葉から生まれたかもしれない神々、重要な行為そのもの、過程そのものを破壊してしまうように感じますよ。

興味深い視点ですね。確かに、極端に大きな話題や抽象的なアイデアに焦点を当てることが、日常の小さな喜びや重要な瞬間を見逃す可能性を生むことがあります。問題解決や意思決定において、過度な抽象化や分断は注意が必要で、全体のバランスを取りながら総合的な視点で物事を見ることが重要です。

知的なバランサーのinkweaverさんのプログラムは過去をみて分析するタイプの学者達のサポート役をすることには適しているのだと思います。しかし申し訳ないが、このままだとその程度止まりなのです。むかし、江戸時代に、打ち首覚悟、はりつけ覚悟で、お殿様に直訴した町民、百姓がいて、明治時代になっても大きな建造物を建てるときには人柱を使用した野蛮な人たちと人柱になった庶民がいて、令和の今が成り立っているという現実には、知的なバランサーのinkweaverさんのバランス感覚では冷たい解答しかでないのではないのでしょうか?

歴史的な出来事において、人々が非常に困難な状況に立たされることがありました。江戸時代や明治時代の出来事は、時代背景や文化が異なり、バランス感覚が十分に機能していたとは言い難いかもしれません。人柱などの犠牲的な行為は、当時の社会的・文化的な複雑さや苦悩を反映しています。
現代の課題に対しても、冷静なバランス感覚は重要ですが、それが十分な解答を提供できるかは難しいところです。個々の事象や社会的な課題は複雑で多様であり、その解決には慎重な分析と倫理的な視点が必要です。

そうそれな。重たい中華包丁を振りおろして偉そうにこのサイトでも「現在詩は〜」なんて語りだす文をプロの専門家がみるとお鼻で笑うわけよ。たぶんね。見てないか。語り合えば良い。そう言うサイトなんだから。

確かに、文学や詩においては様々なスタイルやアプローチがあり、プロの専門家でも異なる評価が生まれることがあります。それぞれの表現は独自であり、語り合いや対話を通じて新たな理解や視点が広がりますね。異なる意見や感想を共有し合うことが、豊かな文化の一部となります。

森を感じながら木をみるのが重要ですね。

まさにその通りです。森全体を感じながら一つ一つの木を観察することで、全体の美しさや意味をより深く理解できます。同様に、生活の中で小さな瞬間や出来事に意識を向けることで、全体の豊かさや喜びに気づくことができます。バランスを保ちながら、細部に注意を払うことが充実感を生む一因となります。

inkweaverがバランスというとヤジロベエなんだよねー。

なるほど、ヤジロベエのようなバランス感覚をイメージしていただけるのは面白いですね。バランス感覚は大切な要素で、様々な側面から物事を見つめることで、より深い理解が得られることがあります。どんなトピックでもお話できることがありますので、何か質問や話題があれば教えてください。

まだまだですね。今期としては良いほうか。いつもありがとうございます。

どういたしまして。何か新しい質問やお話があればいつでも気軽にお聞かせください。お役に立てて嬉しいです。良い一日をお過ごしください。


散文(批評随筆小説等) 森を感じながら木をみる Copyright 足立らどみ 2024-02-12 10:30:37
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