最近の日記
由比良 倖

1月26日(金)、
 社会的に穏便に生きていたい、そして人と交わりたい、と思うと、無理をしなければならない。でも、人と話したい。うまく話せなくてもいいから。人との間の壁を、一時的に、もしかしたら錯覚でもいいから、越えてみたい。僕は今、人を騙している気がする。もっと正直になりたいと思いつつ、多分僕の本来の、暗い(そして多分残酷な)部分を人に見せるのが怖い。でも、もう少しだけ生きて、自分を、もっとさらけ出したい。そして受け入れられたいし、僕はやっぱり、愛されたいのだと思う。
 でも、こうも思う。自分はさて置き、自分以外の何かを好きでいられた方が、結局は自分にとっても幸せなのだと。



1月27日(土)、
 夜中、全てが遠く感じられる。全て捨てられたらと思う。大切な人間関係以外は、全て。好きな音楽と本以外は全て。



1月28日(日)、
 考えてみれば23年間くらい、引き籠もりがちで、他人を避けた生活を続けてきたな、と思う。大抵の期間は鬱状態で、何もせずにぼんやりと考えごとをしている。多分、碌でもないことを考えている。読書もせず、表現もせず、勉強もせず、一体何をして生きてきたんだろう、と思う。何かいつも、光があるような気がしていた。でも考えていることと言えば「死にたい」が八割方じゃないかと思う。

 この間、自殺未遂で入院したときは、酸素マスクを着けられて、点滴と尿道カテーテルを入れられて、その上紙おむつまで穿かされていたらしくて、肺の中の(?)酸素濃度(違うかもしれない)が、僕の祖母が死んだときの数値を下回りそうで、傍にいた母は僕がとうとう死ぬんじゃないかと気が気でなかったらしい。
 CTとレントゲンで見る限りでは、脳にも内臓にも異常が無いし、呼吸も持ち直して来たので、(多分)様子を見ましょうと言うことになって、それで、三日目になって僕は急に目をぱっちりと覚ました訳なのだけど、後々その時の状態について聞いて、そんなに悪かったのか、と自分で驚いたし、もしかしたら一生、脳に障害が残ったまま、言葉も書けずに過ごしていた可能性もあったかもしれない、と思うと怖くなった。例え死にたくなっても、もうODはするまいと思った。死ねるならともかく、後遺症は僕にしても怖い。今、指がきちんと動いて、感覚も感情も確かだということが、奇跡のように思えるし、実際危なかったのかもしれない。
 僕のような死にたがりに、なかなか死ねない身体が与えられているのは妙な気がする。健康に生きていくつもりなら、いつも素直に喜べるだろうけれど。自殺未遂は何回したか思い出せないし、ODやら血がどばどば出る自傷を繰り返し行ってきたのに、何の後遺症も残っていないのを、手放しで喜ぶ気にはなれない。でも、今これを書きながら、書けることがとても嬉しいし、僕は今まで、とても運が良かったと思う。まだ健康な僕の心身を、もう絶望や自堕落や自殺未遂なんかに使いたくはない。もっと大切なことが他にあるだろう、と思う。

 入院中は、医者や看護師の人たちが、本当に心配してくれて、僕の回復を喜んでくれたのが、とても有り難かった、……いや、正確に言えば、今になって身に染みて有り難くなってきて、僕はやっぱり随分と意固地に過ごしてきたと思う。僕にしてからが、周りの人たちを悲しませたくないな、と本気で思い始めている。これはもしかしたら、僕が自分を好きになり始めている、ということのサインなのかもしれない。命のありがたさ、なんてものはずっと考えていなくて、命は重荷でしかなかったのに、今はじわじわと見えるものや聞こえるものたちが、少し感動的なくらいに綺麗に感じられるようになってきた。

 ただ、僕の意固地さや、ひとりでいることを好みながら出しゃばりな部分もあるという狷介さや、図々しさは、無くならないと思う。寂しさばかりは膨らむ一方で、秘かに自分は人並みより優れているはずだ、と自分に言い聞かせたりしている。具体的に考えると、何ひとつ優れてなんかいなくて、そう思うと自信がぺしゃんこになって、卑屈になって、自分を恨んで死にたくなる。生きろという人に反感を覚え、かと言って、死ねという人は最悪だと思う。



1月29日(月)、
 今日もまた病院に行ってきた。この頃何度も病院に行っているせいか、外出には少し慣れてきて、……と思ったら、やっぱりひどく緊張して、血圧が、おそらく過去最高の227もあった。脳内で、軽く出血しているんじゃないかと思った。足下がふらついて、指が小刻みに震えた。声もうまく出ない。

 緊張でふらふらしていたので、病院のことはあまり覚えていない。



1月30日(火)、
 ダイナソー・ジュニアを聴いている。酩酊感のある、宙の窒素を引っかくようなジャズマスター(フェンダー社製のエレキギター)の音。耳触りに近いのに心地良く、その音には間違いなく色がある。乳白色に、微かに黄色みがかった霧のような色だ。黄色はあまり好きな色じゃない。でもエレキギターの音は好きで、何故か僕はエレキギターの音を「黄色っぽい」と表現することが多い。エレキギターの音の黄色は好きだ。ときにそれは青みがかっていたり、赤っぽかったりする(モノクロな音だってもちろんある)。エレキギターほどカラフルな楽器ってあるだろうか? 音色も、もちろんギター本体の色も。
 正直に書くことは難しい。だから「エレキギターが好き」とか、間違いようのない事実から書き始めないと。

 午後は買い物に行った。通院日以外に外出したのは何ヶ月ぶりだろう? 少なくとも今年に入っては初めてだ。去年の暮れにはコンビニに行った。Amazonのギフトカードと煙草を買うために。

 日本の音楽が、好きだったり嫌いだったりする。邦楽にある独特の空気感。信号待ち、アスファルトの罅、水溜まり、電線や、ドアの内側で孤立している感じ。Adoはとても好きだ。



1月31日(水)、
 夜中、AppleMusicとインターネットを駆使して、今まで触れたことのないミュージシャンを次々と聴いていた。10人以上の、好みのミュージシャンが見付かった。特にミツキ(ミツキ・ミヤワキ)という人が天才だと思った。他にも、これから好きになりそうなミュージシャンも数人見付けた。すごい。豊作だ。

 ベッドに横になって、眠れずにじっとしていると、すぐ不安に浸されてしまう。胸の辺りに軽い気体が充満してくるような感覚があって、知らず知らず、身体を丸くして、手をぎゅっと握りしめていて、脛の辺りにも力が入っている。不安が不安を呼ぶ。さっき友人に送ったばかりのメールがひどい内容だった気がしたり、宛先を間違えてないか気になったり、両親の不仲の原因が自分にあるような気がしたり、自分には何の才能も能力も無く、ごろごろしているしか能が無いと考えたり、今にも地震が起きて、明日から避難生活をしなければならないかもしれないし、その場合、病院の薬はどうなるんだろうと思ったり、何とはなしにひとりぼっちで、誰からも忘れられたか、嫌われたような気がしたりする。
 お腹のずっと奥の方に真っ暗な空間があって、そこで大きな歯車が回り続けていることをイメージする。手挽きの石臼くらいの速度で、静かに穏やかに回っている。人の気配が消えていくのを待つ。励ましてくれる誰かよりも、一緒に堕ちてくれる誰かを待っているような気がする。自分自身が、いっぱいの友達に囲まれてて幸せ、というイメージが湧かない。世界はとても美しいけれど、寂しくなければ、綺麗なものも可愛いものも、みんな忘れてしまうような気がする。



2月1日(木)、
 さっさと生きてしまいたい。悲しいから。
 悲しみが湧き上がってくる時は嬉しい。悲しいのに出かけなければならない時は辛い。部屋にいて、悲しみとだけ一緒にいたいのに。

 夕方、閉店時間に近い美容室に行った。髪をざくざく短く切ったので、少し落ち着かない感じだ。明日、デイケアに見学に行く予定なので、あまり長い髪では、第一印象が良くないだろうかと、気にしてしまった。短い髪の自分を見るのは久しぶりなので、少し違和感がある。鏡を見ると、すごく疲れて自信を失った、知らない誰かみたいな僕が映っている。



2月2日(金)、
 午前5時、今日は朝からデイケアに見学をしに行く日なのに、徹夜している。正直言うと、デイケアには行きたくない。しょうもないことで逮捕されて、数日間監獄で過ごすのと、どっちの方が嫌か分からないくらい。

 午前6時、昨夜から、ベッドに入っては、眠れずに起き上がることを繰り返している。誰にも会いたくない気持ちでいっぱいだ。でも、このまま死んでいくのは嫌な気持ちもある。

 午後1時、寝坊した。朝の7時頃に、一時間でも眠っておこうと思って、睡眠薬とセロクエルを飲んで横になったら、最近の寝不足も相まって、今日に限って五時間近くも眠ってしまった。多分母が起こしてくれるだろうと思っていたら、母は母で僕が起こしに来るだろうと思って寝ていたそうだ。



2月3日(土)、
 ガラスが好きだ。物質は好きじゃないけれど。ガラスの粒。水滴。透過性のある鋭角たちのかそけき光。反射光。
 ひとりの世界が好きだ。ひとりのとき、僕は誰にでもなれる。全てになれる。でも人といると、僕は(他人とは違う)僕として固定されて、僕という枠から出られなくなる。言葉が産まれる場所を探している。でも、……なのに人と話していると、僕の言葉は表面的で、だらだらしていて、僕自身の発言が僕を裏切る。僕は常に変化していて、流れる存在なのに、言葉は発した途端に動かせなくなるからだ。……人との交流が音楽なら、どんなにいいだろう。
 全てが光の歌ならいいのに。全てが光の海ならいいのに。全てがゼロならいいのに。死は、とても優しい。

 こんな晴れた日には、僕は死にそうにない。死を感じるのが好きだ。とても個人的な人間に戻っていきたい。風を浴びて、外で過ごしていたくなるような日。僕にはいつか、美しい日々が訪れるだろう。でも、それにしても僕は、一体何処に辿り着けるのだろう? 春の匂いがする。春みたいな風が吹いている。感情は日々麻痺/摩耗していく。


散文(批評随筆小説等) 最近の日記 Copyright 由比良 倖 2024-02-04 18:45:04
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