音楽と精霊たち③
おぼろん

7.コーダ


 その数日後、葉子は数カ月ぶりに弟に連絡を取った。あの日起こった出来事については、自分の幻覚か幻想か分からなかったので、話さなかった。ただ、自分の気持ちだけを素直に話すことにした。

「わたしね、この家に帰ってきて良かった気がする」

「そうなんだ。あの家は、何か温かいんだよ」

「それから、今の仕事を選んで良かったと思うの」

「S市にも仕事はあっただろう?」

 弟が答える。葉子も弟の言葉には同感だった。たしかにこの家の印象は温かかったし、中学生相手に音楽を教えるという仕事も、だんだんに充実したものとして考えられるようになってきた。ただ、あの日のように奇跡のような幻想のような出来事が起こることはもうなかった。

 しかし、葉子はそれ以来自由にオルガンの演奏が出来るようになった。父と母のことは思い出さなかったが、あるいは父と母の霊が助けてくれていたのかもしれない。葉子は作曲家になったわけではなかったが、家に帰ってくると決まってオルガンで即興の演奏をした。

 教え子たちには、以前よりも丁寧に音楽について教えるようになった。例えば、「ドレミファソラシド」がなぜ「ド」から始まるのか。その由来については調べてもよく分からなかったが、昔は1オクターブが5音や6音の時代があったこと。1オクターブが12の音で成り立つようになったのは比較的近代に入ってからであること、などを教えた。

 例えば日本の音階でも、47抜き音階というものがあって、「ファ」の音や「シ」の音というのは本来は存在しない。そうした音階でも成り立つ音楽があること、などを生徒たちに教えた。彼らは興味を持って聞いていたし、あるいはその中から未来の音楽家が生まれるかもしれなかった。

(音楽というものにもっと興味を持ってもらえれば、それで良い)

 と葉子は思った。

 あの日以来、葉子は即興の曲を書きためていった。ただし、譜面に起こすことは滅多になく、ただ気持ちの赴くままに演奏をして、それを音源として録音した。それは次第に膨大な数になっていった。

 ある時、葉子はそれらの楽曲を動画配信サイトや音源アップロードサイトにアップロードすることを思いついた。下着姿では具合が悪いので、ゆったりとして動きやすい、黒のオーバーオールを着て録音した。その様子は、どこか萩原朔太郎の「黒い風琴」を連想させるようなものだった。

 「おるがんをお彈きなさい 女のひとよ
  あなたは黒い着物をきて
  おるがんの前に坐りなさい
  あなたの指はおるがんを這ふのです
  かるく やさしく しめやかに 雪のふつてゐる音のやうに
  おるがんをお彈きなさい 女のひとよ。」

 学校の生徒たちには、葉子は作曲もする先生だということがだんだんに知られるようになっていった。動画サイトで「いいね」を付けてくれる生徒たちもいた。そのうちの何人かとは、葉子は積極的に音楽の話をするようになった。未来の演奏家や作曲家は、その中にいるのかもしれなかった。

 葉子がS市に帰ってきてから1年ほどが過ぎた。新しい仕事を見つけてからは半年ほど経つ。その間に、春、夏、秋、冬、4つの季節を経験した。それぞれの季節で、頭に浮かぶ旋律は微妙に異なっていた。ある時には「トッカータとフーガ」のように激しく、ある時には「前奏曲とフーガ」のように優しく、心のなかにメロディーが浮かんだ。

 学び直さなくてはいけないことが山ほどあった。「自分は音楽について何も知らなかった」と葉子は思う。学生時代に作曲が出来なかったのは必然だった。バンドメンバーにも誘われたが、彼らは彼女よりもずっと多くの努力をしていた。1つの曲を作るということは、音楽の歴史そのものを学ぶことに等しかった。

 いつか、誰かの詩に音楽を付けたい、と葉子は思った。それは萩原朔太郎の詩でも良かったし、立原道造や中原中也の詩でも良かった。日本らしい、日本人にしか作れない音楽が作りたかった。それが、今の葉子には出来そうに感じられた。

(あの日のことは何だったのだろう)

 と、葉子は時折考える。少なくとも、狂気や病気ではない。芸術という「虚構の世界」に取り憑かれたわけでもない。ただ、不思議な現象が起こったことは間違いなかった。葉子は人形たちが話す言葉を聞いた。

「彼ら」は、この家でずっと生きていた。そして、今も生きている。だからこそ、その声が聞こえてきたのだろう。

 弟とは、頻繁にではないけれど、以前よりも多くの会話をするようになった。メールや電話で、葉子は弟と話をした。弟は、葉子がついに作曲家になったのだと考えていた。アップロードされた動画を褒めてくれることもあった。それは依然として両親のかつての思いには反することだったが……葉子はこれまでよりももっと、ずっと、自分の道を思いを実践出来ているような気がした。

 親ゆえの心配、というのは杞憂に終わった。今の時代、ありきたりの生活をしながらでも芸術に参加することは出来る。誰でもが芸術家になれる。葉子もその一人となった。そして、いつかは作曲家として認知されることになるのかもしれない。動画サイトに付けられた「いいね」の数を思えば、それは遠くない未来のことにも思えた。

 あの日、洋服箪笥の上から彼女のオルガンの上に移動してきた人形は、今でもその場所に座っていた。それが、彼女の神秘的な体験を真実だったと証明してくれるものだった。

(あれは、お母さんがその妹からもらってきたものだったっけ?)

 ところどころ染みになっている人形は、洗えば綺麗になるのかもしれなかった。ただ、葉子はその人形をそのままにしておいた。洗えば、今までの魂は消えてしまいそうな気がしたから……。

 自分の家や仕事が気づまりだと思うことはなくなった。ただ、毎日を自由な気持ちで葉子は生活出来るようになった。時折、葉子はオルガンの上に置かれた人形に向かってほほえみかける。そうすると、自然と頭の中にメロディーが浮かんでくる。彼女の指は鍵盤の上を走る。それはバッハの作曲したフーガのように、いつまでも絶えることがないもののようだった。


散文(批評随筆小説等) 音楽と精霊たち③ Copyright おぼろん 2023-12-22 13:48:14
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