夜の底
由比良 倖

(「流れる川を、君は知っている?
 銀の川、金の川を、
 夜の底をずっと、流れる川を。」)

誰も、ここには帰ってこない、
 世界の輪郭が、藍色を保っている、
僕の目の底に焼け残った数々の手付きは、
 ゴム風船のように広がって、
お腹の痛みにいくつも曲がり角を付ける。

空にガラスを張って、
ガラスの下で暮らす。
僕の瞳はガラスで、
空気もガラスだ。


黒板を叩いて「答えの分かる人?」と言う、
しかし答える生徒はいない、
暗い教室の中で、黒板を叩いている、
その教師のズボンの辺りが見えて、
他はぼんやりしている。

パセリの肌のような雪が降ってくる。
雪は夢のように溶けて、
アスファルトの上で、空を映している。


電車の中、みんな向き合って座っている。
僕はしきりとジーンズを引っ掻いているのに、
ヘッドホンの向こうで俯いた人たちの口元は、
一斉に愛を歌っている。
「(“…But I' m afraid to love you.”)」


君の部屋はまるで水槽のように見える。
揺らいでいる、電飾の光。
低い、実の成る、フルーツジュースのよう。


ライブをひとりで見ている。
観客は僕ひとりで、ステージ上では眠い
うるさい演奏が続いている。
機械仕掛けのドラムスティック。


立ち並ぶ電柱が、黄色と黒の帯を巻いている。
ジャクソン・ポロックの絵のような空が、
家々の窓に映っていく。
黒くなめしたような車が走ってきて、
「今はいつですか? いつ?」という。


「僕は」というとき、空は乾き、
空に灰色の畝は続き、
山の頂で、
長い髪を掻き分けて、
「僕」は蹲っている。


それは冷たい冷たい流れ。
僕たちは抗うことで触れ合えるだけ存在している。
この街の、この笑いは、
空からの光に融けていき、
夜の底へ沈んで行く。


自由詩 夜の底 Copyright 由比良 倖 2023-10-06 13:44:10
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