ぼくはあたらしいか
狸亭

灰色の朝でも、
朱色の朝であっても、
六時の時報をラジオが伝え、
その日がたとえば八月十五日朝六時のニュースです、と
個性を消した声がする。
日々つみかさねられ、くりかえされてゆく
あたらしい時間に
ぼくはあたらしいか。

風のような権力をゆるすな。
義務が雲のようにわきおこることをおそれる。
たかまる海は管理せねばならぬとしても、
青空のような正義をしんじてはならない。
自由こそ竹槍根性を追放する唯一のものだから、
愛をしてさまざまな主義をこえしめよ。
詩は勲章にまさるのだし、
音楽は派閥をもたぬ。
色の数だけ祖国があるとしても、
その色の数よりも人の数のほうが多いのだ。

おもくかさなる夏に、
つもりゆく書物のように憂鬱で、
いつまでもきえてゆかない記憶のように
くるおしい。
観覧車の上から
地上にうごめく点のような人間をみつめて、
あの点を一つ一つけしてゆけば
そのたびに、
この手に憶万の富を得られるとしたら
君ならどうする。と
問いを発した第三の男ハリーの
しろいつめたい顔のように
世界が存在するとしても、
ぼくは生きていかねばならない。

春も秋もない、
熱い砂漠のただなかに放り出された兵士たちよ
きみらは祖国を信じるか。
正義の戦争よりも、
不公平な平和がどんなに貴重であるかを
なんどくりかえしたらわかるのだろう。

ぼくはいやだ。
銅がある朝目覚めてみるとラッパになっていたからといって、
それは銅の責任ではない。

くりかえされる朝に、
ぼくは日々あたらしいか。
感覚を開放せよ、
日々変貌する世界に向かって
ぼくはあたらしいか。
言葉いじりはいらない。
ただただ、ぼくはあたらしいか。
ぼくはあたらしいか。



自由詩 ぼくはあたらしいか Copyright 狸亭 2003-11-28 09:19:29
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