百鬼百景
ただのみきや

いまは夏休みということだ
同じアパートの一年生がアサガオを持ち帰り
朝晩水をやっている
ここ数日の暑さも少しやわらいで
きょう風はさかんに木漏れ日をゆらしている
濃い影から飛び立った 一羽のカラス
その嘴からネズミの尻尾がはみだしていた




墓地を周遊する黄色い蝶
水に映った青葉にそっと降りかけて

むらのある雲と磨かれた石
どちらがどちらを映してか
生はゆがみ
死によってその座標は定められる
記号は仮面
仮面は無言 無言の代言者
かたちあるものはないものを
うつろうものはあらがうものにより

刻む
喪失と対をなす硬質のまぼろし

水面の契り あれは己の影
それとも深淵から浮かび上がる母神の母音

色をともし 色を失くし
波は凪ぎ
くちびるにふれるかのよう
なまぬるい 
墓石に黄色の笑い声




若き日の情熱はわたし置いて去っていった
いくつかの詩の中にその面影をとどめたまま
かれはいつも先走り
多くのことばを試着しては脱ぎ散らかし
あらゆるイメージの楽園を無我夢中
衝動を唯一の羅針として
遊び疲れることを知らない小鬼のように

若き日の情熱にもう追いつくことはできないが
それはいまも地平線の少し向こうをさまよっている
時間と距離と地球のかたちを想えば
自転を何回か巻き戻すだけ
大昔の死者とだって地続きで暮らしているのだから

日没から逃げるように
朝日と競争するように
あの若き日の情熱は
うつろう景色を愛人として
いつも斜めに世の中を笑い
神話をつくる古代人のように
愚者にふさわしい旅を続けるのだろう
わたしが死んだことなどいつまでも気づかないまま




朝の歩道に大きいなエゾゼミが落ちていた
クロアリよりずっと小さな赤っぽいアリが群がっている
イソップのアリとキリギリスの原型は
アリとセミの寓話だったという
実際にはセミが樹液を吸うために穿った穴から
アリは蜜のおこぼれにあずかるし
その死体すら食事とするわけだが
おそらくセミの骸には甘い蜜の味が残っていて
アリにはこの上もないごちそうなのだろう
長い暗黒から解き放たれて
太陽と恋と歌 甘い蜜の酒
短くも満ち足りた一生の終わりに
今朝 彼(彼女)はアリの群れをまとっている
おそらくまだ生きてはいるのだろう
あの赤い複眼は夏の太陽の下
もう夢など見ずに途切れゆく現実だけを倍増させている




その朝 アサガオの花は美しすぎた

死者の瞳の奥にいつまでも閉じ込められている蝶
暗い寝屋の中 寝苦しく
はだけた女の白い肌から飛び立って
朝露にたわむ蜘蛛の巣にその翅を滲ませる
色濃くもどこか透けたような青い血を吸い上げて

息苦しい夏の胸元のひとしずく
滑稽で奇怪 夢たちの面差しよ



                      (2023年8月5日)












自由詩 百鬼百景 Copyright ただのみきや 2023-08-05 16:45:40
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