いまは夏休みということだ
同じアパートの一年生がアサガオを持ち帰り
朝晩水をやっている
ここ数日の暑さも少しやわらいで
きょう風はさかんに木漏れ日をゆらしている
濃い影から飛び立った 一羽のカラス
その嘴からネズミの尻尾がはみだしていた
*
墓地を周遊する黄色い蝶
水に映った青葉にそっと降りかけて
斑のある雲と磨かれた石
どちらがどちらを映してか
生はゆがみ
死によってその座標は定められる
記号は仮面
仮面は無言 無言の代言者
かたちあるものはないものを
うつろうものはあらがうものにより
刻む
喪失と対をなす硬質のまぼろし
水面の契り あれは己の影
それとも深淵から浮かび上がる母神の母音
色をともし 色を失くし
波は凪ぎ
くちびるにふれるかのよう
なまぬるい
墓石に黄色の笑い声
*
若き日の情熱はわたし置いて去っていった
いくつかの詩の中にその面影をとどめたまま
かれはいつも先走り
多くのことばを試着しては脱ぎ散らかし
あらゆるイメージの楽園を無我夢中
衝動を唯一の羅針として
遊び疲れることを知らない小鬼のように
若き日の情熱にもう追いつくことはできないが
それはいまも地平線の少し向こうをさまよっている
時間と距離と地球のかたちを想えば
自転を何回か巻き戻すだけ
大昔の死者とだって地続きで暮らしているのだから
日没から逃げるように
朝日と競争するように
あの若き日の情熱は
うつろう景色を愛人として
いつも斜めに世の中を笑い
神話をつくる古代人のように
愚者にふさわしい旅を続けるのだろう
わたしが死んだことなどいつまでも気づかないまま
*
朝の歩道に大きいなエゾゼミが落ちていた
クロアリよりずっと小さな赤っぽいアリが群がっている
イソップのアリとキリギリスの原型は
アリとセミの寓話だったという
実際にはセミが樹液を吸うために穿った穴から
アリは蜜のおこぼれにあずかるし
その死体すら食事とするわけだが
おそらくセミの骸には甘い蜜の味が残っていて
アリにはこの上もないごちそうなのだろう
長い暗黒から解き放たれて
太陽と恋と歌 甘い蜜の酒
短くも満ち足りた一生の終わりに
今朝 彼(彼女)はアリの群れをまとっている
おそらくまだ生きてはいるのだろう
あの赤い複眼は夏の太陽の下
もう夢など見ずに途切れゆく現実だけを倍増させている
*
その朝 アサガオの花は美しすぎた
死者の瞳の奥にいつまでも閉じ込められている蝶
暗い寝屋の中 寝苦しく
はだけた女の白い肌から飛び立って
朝露にたわむ蜘蛛の巣にその翅を滲ませる
色濃くもどこか透けたような青い血を吸い上げて
息苦しい夏の胸元のひとしずく
滑稽で奇怪 夢たちの面差しよ
(2023年8月5日)