シナリオ「恩寵のバーガンディ」②(新人シナリオコンクール・三次選考通過作品)
平瀬たかのり

(続く)

〇七星銀行東里支店・外景
   〈T〉1978年2月
   
〇前同・店内
   カウンターに座り接客をしている女
   性行員たち。その中に23歳の日野
   佳也子がいる。その髪は紫がかった
   鮮やかなバーガンディ。にこやかに
   接客をする佳也子。
     ×     ×     ×
   入店してくる男、緑山勝次。空いて
   いた佳也子のカウンター前に立つ。
佳也子「いらっしゃいませ」
緑山「通帳作りたいんやけどな、ここの」
佳也子「はい、ありがとうございます。なに
 かご身分を証明できるものとご印鑑はお
 持ちでしょうか」
緑山「はいはい、お持ちいただいております
 よっと」
   ポケットから印鑑と財布の中の免許
   証を取り出し、差し出す緑山。佳也子、 
   クスっと笑って。緑山、佳也子の名札
   を見て。
緑山「髪、ええ色に染めてるんやね、日野さ
 ん」
佳也子「あ、地毛なんですこれ」
緑山「地毛! ほんまに?」
佳也子「はい。みなさん驚かれます」
緑山「そっか。日野さん、ボクこういう仕事
 してるねん」
   名刺を差し出す緑山。《パブ【ドルチェ・
   ノッテ】フロントマネージャー 緑山
   勝次》と書かれている。
緑山「よかったら取っといてぇや」
佳也子「はい、ありがとうございます」
   名刺を受け取る佳也子。
緑山「フロントマネージャーとかたいそうに
 書いてるけど、要はただのバーテンや。パ
 ブとか行ったことある?」
佳也子「いえ」
緑山「友だち誘っておいでぇや。女の子でも
 安心して楽しくお酒飲める雰囲気づくり
 に励んでるんやでぇ」
佳也子「そうでらっしゃいますか。いつかぜ
 ひ。では、こちらの用紙の太枠の中に必要
 事項をご記入くださいませ」
緑山「はーい、ご記入くださいますよっと」
   またクスっと笑う佳也子。

〇前同・女子更衣室
   業務を終え着替えをしている佳也子
   と同僚の増山香里(23)と岡崎美
   幸(23)。
香里「なあ、佳也子」
佳也子「んぅ」
香里「あんた今日お客さんから名刺もらって
 たやろ。ええ感じに崩れた雰囲気の男の人
 から」
佳也子「あ、うん」
美幸「え、ほんまに。見せてぇや、それ」
佳也子「ええよ」
   バッグから名刺を出し二人に見せる
   佳也子。
香里「《パブ【ドルチェ・ノッテ】フロント
 マネージャー緑山勝次》やて」
佳也子「バーテンさんやねんて。女でも安心
 して飲める店や、みたいなこと言うてた」
美幸「ほんまにぃ。そしたら今月給料出たら
 行ってみようや、三人で」
香里「ええやん、それ。わたしパブなんか行っ
 たことない。佳也子は?」
佳也子「わたしもない」
美幸「わたし、哲也と行ったことあるわ。な
 あ、ほんまに行こ三人で。佳也子の退職前
 祝いや」
香里「うん。けどワリカンやで」
佳也子「なによそれ。どこが前祝いやのん」
香里「三人で行ってやで、一人分二人で持つ
 のは痛いわぁ。なあ美幸」
美幸「そらそうや。奢ってもらうのは支店の
 お別れ会のときでええやんか。友情の証し
 としてその日はワリカン。当然や」
佳也子「なにが友情の証しやのん」
   笑う三人。
香里「それにな佳也子。あんたまた会いたいっ
 て思ってるやろあのバーテンさんに」
佳也子「べつに、そんなことないよ」
香里「いや、思ってる。なんやしらんポーっ
 としてるもん、あんた。あの人接客して
 から、今日」
美幸「お、お、おぉ。ついに佳也子ちゃん
 が大事に守り続けてきた純潔が散らされ
 ちゃうときがやってきましたかなぁ」
佳也子「そやからそんなん違うって」
   名刺をバッグにしまう佳也子。着替
   えを済ませた三人、楽し気に話しな
   がら更衣室を出ていく。

〇パブ・ドルチェ・ノッテ・入口(夜)
   歓楽街にある店に入っていく佳也子、
   香里、美幸。

〇前同・店内(夜)
   カウンター内で正装した緑山が立っている。
緑山「本日はようこそいらっしゃいました。
 ボックス席へどうぞ」
   ボーイがボックス席へ三人を案内す
   る。並んで座る美幸と香里。向かい合
   って佳也子。
香里「オシャレなお店やんね」
美幸「うん」
   やってくる緑山。
緑山「こんばんは。改めましてようこそいら
 っしゃいました――佳也子さんからご予
 約のお電話いただいたとき嬉しかったわ」
香里「いやぁ、佳也子さんやてぇ」
美幸「ちょっともうなにそれぇ」
   佳也子、俯いている。
     ×     ×     ×
   カウンター内でシェーカーを振る緑
   山を見ている三人。
美幸「かっこええやん彼、なあ佳也子さん」
香里「ほんまに。なあ佳也子さーん」
佳也子「ちょっともう怒るで」
   真剣な表情の緑山を見つめる佳也子。
     ×     ×     ×
   ほろ酔いの三人。
美幸「緑山さぁん」
   カウンター内から三人を見る緑山。
美幸「こっち来ていっしょに飲みません?
 お仕事中やからあかん?」
緑山「いや、ええですよ」
   にっこり笑う緑山。
緑山「ちょっと店頼むわ」
   ボーイに告げカウンターの中から出る緑山。
     ×     ×     ×
   佳也子の隣の席に座っている緑山。
緑山「そうか、佳也子ちゃんは来月で仕事や
 めるんか」
香里「そう、こいつは裏切り者。いっしょに
 七星銀行入った銀嶺短大卒三人組の裏切り
 者や」
美幸「ほんまや」
佳也子「そんなん、言わんといてぇや……」
香里「アホ、誰が本気で言うてるんよ」
緑山「料理の道に本気で進みたくなったんや
 な、佳也子ちゃんは」
   頷く佳也子。
緑山「なあ、三人のこと当てたろか」
香里「え、わたしらのことって?」
緑山「美幸ちゃんは彼氏いててうまいことい
 ってる。香里ちゃんは、そやな――つきあ
 ってた人いてたけど最近別れた。ちがう?」
   唖然として緑山を見る香里と美幸。
香里・美幸「なんで分かるんですか?」
緑山「ま、こういのも商売のうちや」
香里「そしたら、佳也子は?」
   俯いてカクテルグラスを持っている佳
   也子を見つめる緑山。
緑山「言うてええ?」
   コクンと頷く佳也子。
緑山「バージンやな、佳也子ちゃんは」
佳也子「……変、ですか」
   首を横に振る緑山。
緑山「きれいな赤い髪やなあ」
   緑山を見る佳也子。微笑んでいる緑山。

〇七星銀行東里支店・前の路上
   業務を終え、銀行から出てくる佳也子。
   路上に停車している赤いスカイライン
   からププッとクラクションの音。目
   をやる佳也子。
緑山「ハロー、佳也子ちゃん」
佳也子「緑山さん」
緑山「香里ちゃんと美幸ちゃんは?」
佳也子「美幸は彼氏と映画観るって。香里は
 高校のときの女友だち三人と男の子三人
 とコンパやるって、とっとと」
緑山「ははっ、『とっとと』かぁ。明日日曜
 で休みやろ。三人連れて六甲山の夜景見に
 連れてったろ思ったんやけどなあ」
佳也子「緑山さん、お店は?」
緑山「俺、土曜日月二回は休みとることに
 してるねん。できる人間がいちばん忙し
 い曜日にずっと店仕切ってたら後進が育
 てへんからな」
佳也子「そうなんですか、あの――」
緑山「ん?」
   俯いている佳也子。
   手を伸ばし助手席のドアを開ける緑
   山。乗り込む佳也子。

〇車の中
   運転をしている緑山。無言の佳也子。
   カーラジオのスイッチを入れる緑山。
   キャンディーズの『やさしい悪魔』
   が流れてくる。
緑山「来月いよいよ解散か、キャンディーズ」
   『やさしい悪魔』をハミングする緑山
   の横顔を見つめる佳也子。

〇ステーキハウス・店内
   テーブル席で向かい合ってステーキを
   食べている佳也子と緑山。
緑山「おいしい?」
佳也子「はい、すごく。あの」
緑山「ん?」
佳也子「お酒、飲まはらへんのですか」
緑山「女の子連れて六甲山行くのに飲酒運転
 はできんよ――ちょっと」
   ボーイを呼び止める緑山。
緑山「シャトーマルゴーの69年、ある?」
ボーイ「はい、ございます」
緑山「グラスで彼女に」
佳也子「え、そんなんええですよ」
   緑山、手で小さく佳也子を制し。
緑山「頼んだで」
ボーイ「かしこまりました」
   立ち去るボーイ。緑山、佳也子を
   見て。
緑山「料理の道に進むんやろ。ええ肉に
 はええ赤ワインや。知っとき」
   緑山を見つめ頷く佳也子。

〇六甲山上展望台(夜)
   肩を並べて眼下に広がる神戸の夜
   景を見ている佳也子と緑山。
佳也子「うわぁ、きれい!」
緑山「やろ。まさに百万ドルの夜景や――英
 子もここに連れてきたったとき、えろう喜
 んでたわ」
佳也子「え」
緑山「いっしょに住んでる女とちょっと大き
 いケンカしてしもうてな、出て行ってしも
 てん。けど居場所の見当はついてる。ツレ
 のところ泊まり歩いてるか、実家にいてる。
 近いうち迎えにいくつもりや」
佳也子「そうなんや」
緑山「うん――寒いやろ」
   佳也子の肩を抱き、引き寄せる緑山。
   一瞬驚くが、緑山に身を預ける佳也
   子。
佳也子「なあ」
緑山「なんや」
佳也子「遊びなんやったら、本気で遊んでよ」
   見つめ合い、キスを交わす二人。

〇ラブホテル・部屋(夜)
   ベッドの上、佳也子の上に覆いかぶさ
   り、ゆっくり腰を動かしている緑山。
   破瓜の痛みに耐えている佳也子。
緑山「痛いか」
佳也子「……んっ、大丈夫、やから」
緑山「ちゃんとつけてるから安心し」
佳也子「うん――」
   優しく佳也子の髪を撫でる緑山。
   佳也子の声、痛苦の中にやがて
   少しずつ喜悦の響きが混じり始
   めて。
     ×     ×     ×
   ベッドに腰掛けビールを飲んでいる
   緑山。佳也子、シーツを体に纏うよう
   にして緑山の背中を見ている。
緑山「近々、胸に墨入れるつもりでな、俺」
佳也子「墨?」
緑山「入れ墨や。箔つけたろ思ってな。英子
 の好きな薔薇の柄にしよって思ってる」
佳也子「そう――戻ってきたらええね、英
 子さん」
緑山「ん? ああ、戻すよ。絶対戻す」
佳也子「羨ましいなあ、それだけ愛されて」
緑山「伝わらん愛もあるんよなあ」
佳也子「――なあ、どうやった、わたし」
   緑山、佳也子を見て。
緑山「そやな、新鮮やったわ。処女抱いた
 ん久しぶりや。乳首まっピンクで興奮し
 たわ」
佳也子「スケベぇ」
   緑山の背中に抱きつく佳也子。笑い
   あい、そのままキスをする二人。

〇居酒屋・外景(夜)
   大きな店構えの居酒屋。暖簾が出てい
   る。

〇前同・店内・座敷席(夜)
   賑わっている店内の座敷席。七星銀行
   東里支店の従業員たち三十人ほどが座っ
   ている。上座、立って挨拶をしている
   支店長の船曳(45)。
船曳「えー、ということでですね、今年度末
 をもって、受付顧客業務を担当してくれて
 いた日野佳也子さんが退職されることとな
 りました。みなさんお聞き及びのことやと
 は思いますが、日野さんは現在通われてい
 る料理教室において、その腕を存分に発揮
 される中、講師の方に見込まれ、まさに白
 羽の矢を立てられることとなり、助手とし
 てスカウトされることとなりました。当支
 店といたしましては、本当に、なんと言い
 ましょうか、今、彼女に辞められるのは、
 痛恨の極みといったところもあるのですが、
 新たな道、新しい夢へと旅立つ日野さんを、
 快く、気持ちよく送り出してあげましょう。
 では、日野さん、どうぞ」
   座る船曳。全員の拍手。立ち上がる佳
   也子。深く礼をしてから頭を上げる。
佳也子「あの、本日はわたしのためにこのよ
 うな席を設けてくださって、本当にありが
 とうございます。お世話になって丸三年、
 ずっとここで働きたい気持ちもあったので
 すが、短大時代から通っていた料理教室か
 ら助手として勤めないかとのお声がけをい
 ただき、迷いに迷ったのですが、新たな道
 に進むことに決めました。船曳支店長はじ
 め諸先輩方には時に厳しく、常に温かくご
 指導いただけた事、そして短大の同級生、
 香里、美幸と励ましあいながら働けた事、
 一生の財産です。宝物です。忘れません。
 東里支店で働くことができて、本当によかっ
 たです。みなさん、ありがとうございまし
 た」
   涙ぐみながら深く頭を下げる佳也子。
   拍手が沸き上がる。
     ×     ×     ×
   乱れている座。そこここで笑い声や嬌
   声があがっている。その一角、肩寄せ
   合うようにして飲んでいる佳也子、香
   里、美幸。
美幸「あんた、ほんまにええのん?」
佳也子「なにが?」
香里「なにがって、バーテンさんのことに決
 まってるやん」
佳也子「うん、ええねん。遊びやって割り切
 ってたし、バージン、もう重かったし。捨
 てるにはちょうどええ感じの人やったわ。
 向こう本気で好きな女の人いてるし」
美幸「まあ、佳也子が本気で恋人としてつき
 あうにはワルっぽすぎたかなあ」
佳也子「うん。さすがに入れ墨するような人
 とずっとつきあうのは無理やわ」
香里「確かにな」
佳也子「なあ、香里、美幸。またいっしょに
 ご飯行ったりしよな。旅行いったりしよな」
   頷き、笑いながら佳也子の髪をクシャ
   クシャする香里と美幸。
佳也子「もう、やめてぇやぁ」
   ただ嬉しそうな佳也子。

〇七星銀行東里支店・行内
   フロアに警察官二人と、支店長船曳、
   男性行員の鈴木の二人が横たわって
   いる。それぞれの床に血だまり。四
   人とも死んでいる。
   フロアのすみに人質となった客たち、
   二十名ほどが固まって怯えながら座っ
   ている。
   支店長席に猟銃を肩がけにして座っ
   ているチロリアンハットにサングラ
   スの緑山。カウンターに女性行員十
   八人を全裸にして座らせている。そ
   の中に香里と美幸も隣あわせでいる。
   ニヤニヤ笑っている緑山。後ろから
   猟銃を香里の頬に当てる。
   ビクっとなる香里。緑山、席から立
   ち、二人の間に顔を入れ、肩を抱き
   寄せる。
   そして二人だけに聞こえる声で。
緑山「香里ちゃんと美幸ちゃんやんな。記憶
 力ええやろ。借金の取り立てもやってたか
 らな俺。人の名前きっちり覚えるのも仕事
 のうちやねん」
   ガタガタ震えている香里と美幸。
緑山「どこに押し入ったろかいろいろ考えた
 んや。候補は三つくらいあったんやけどな、
 縁あるところがええかなぁって、ここに決
 めた。なんせここ、処女貰た女の勤めてた
 銀行やろ。ゲンがええって思って決めたん
 や。帽子被ってグラサンとマスクしてたら、
 君らも気ぃつかへんやろ思ってな。けど、
 裏目に出たわ」
   震え続けている香里と美幸。 
緑山「今でもつきあいあるん? 佳也子ちゃ
 んと? なあ、香里ちゃん」
  頷く香里。
緑山「そっか、仲ええんやな。なあ、後でポ
 リになにかいろいろ訊かれても、佳也子ち
 ゃんのことは黙っといたりや。一晩だけで
 も抱いた女に迷惑かけたぁない――おい、
 おまえら分かったんかい」
   震えながら頷く香里と美幸。
   緑山、支店長席に坐り直す。
緑山「早い事金出さへんから、こないなこと
 になったんじゃ! 絶対金持って上手いこ
 とここ抜けたるからな、クソが!」
   天井に向けて発砲する緑山。悲鳴が上がる。

〇酒問屋・駐車場(朝)
   トラックに瓶ビールのケースを積んで
   いる杉原順平(24)。社長の神保
   (55)がやってくる。
順平「おはようございます!」
神保「おはようさん順ちゃん。しかし、えら
 い事件が起きたもんやなあ」
順平「まだ犯人、捕まってないんですか」
神保「ああ。ずっと銀行のシャッター閉まっ
 たまんま。進展なしや」
順平「そうですか」
神保「あ、そやそや順ちゃん、聞いたで聞い
 たで。先月から彼女とアパートで同棲して
 るそうやないかぁ」
順平「いや、同棲いうか。行ったり来たりし
 てるから、半同棲っていうか」
神保「この先も考えてるんやろ」
順平「それは、まぁ――はい」
神保「仲人、遠慮せんと頼んでや。記念の十
 組目が順ちゃんやったら、俺も嬉しい限り
 やで。料理上手の嫁さん、最高やないか」
   去っていく神保。苦笑する順平。力強
   く積み込みを続ける。

〇夢山ハイツ・外景(夜)
   ボロアパートである。

〇前同・203号室(夜)
   シャッターの閉まった七星銀行東里
   支店の様子が映し出されているテレ
   ビ画面を視ている佳也子と順平。
順平「ほんまによかったな。そのまま勤め
 てたら、おまえかて」
佳也子「けど、けど、香里や美幸が――」
   テレビからアナウンサーの声。
アナウンサー(声)「ただ今、警察から発
 表がありました! 警官二人と行員二人
 を射殺し、人質を取り現在も立てこもり
 を続けている男の名前は緑山勝次、三十
 歳! 現在の職業は不明ですが、かつて
 大阪市内のパブでバーテンダーをしてい
 たとのことです! 繰り返します、犯人
 の男は元バーテンダー緑山勝次!」
   息を呑む佳也子。
順平「元バーテンダーか」
   立ち上がる佳也子。
順平「大丈夫や、香里ちゃんも美幸ちゃん
 も絶対無事に解放されて出てくるよ」
   佳也子、無言でトイレへ。

〇前同・トイレ(夜)
   便器を前にうずくまる佳也子。ゲー
   ゲーと吐く。

〇大阪市内の上空
   報道ヘリ三機が七星銀行東里支店、
   上空を飛んでいる。

〇七星銀行東里支店・外景
   警官隊、機動隊員たちが支店周囲を   
   取り囲んでいる。大勢の野次馬たち    
   もいる。
   ヘリのローター音に重なるアナウン
   サーの声。
アナウンサー(声)「〈緑山勝次が客や銀
 行員四十名近くを人質に取り、七星銀行
 東里支店に立てこもって三日が経ちまし
 た。緑山は警官二人、行員二人を猟銃に
 て射殺。母親の説得にも応じず、立てこ
 もりを続けています。警察は銀行三階に
 捜査本部を設置。電話で緑山との接触を
 試みている模様。未確認ですが、特殊狙
 撃部隊が行内に潜入との情報もあり――〉」
   〈八発の発砲音〉
緑山(声)「殺す、ぞ……」

〇七星銀行東里支店・外景
   支店の閉じていたシャッターが三十
   センチほど開けられ、その間から警
   察官たちが次々と匍匐前進で入っていく。
アナウンサー(声)「〈あ、あっ! 今、閉じ
 ていたシャッターが少し開けられ、警官隊、
 機動隊員たちが次々に行内へと、入ってい
 きます! 事件に動きが、何らかの動きが
 ありました!」

〇前同・外階段
   警官に支えられながら、毛布をかぶせ
   られて、外階段を降りてくる人質たち。
   その中に香里と美幸もいる。
                (F・O)

〇杉原家・居間(夜)
   じっと見つめあっている陽鞠と佳也
   子。
陽鞠「じぃじは、知ってたのん?」
   重い沈黙。
陽鞠「訊いてるやん」
   やがて頷く陽鞠。
陽鞠「そっか。なんかそれ聞いてほっとした。
 それから、髪、黒に染めるようになったん?」
   頷く佳也子。
佳也子「陽鞠、お願いや。そこから先はもうほ
 んまに訊かんといて。お願いや」
陽鞠「うん、分かった」
   佳也子の目から涙が零れる。
佳也子「悪い子や陽鞠は。あの事件のこと調べ
 たりして、ずっと隠してたこと言わせたり
 して、ほんまに、悪い子や」
   佳也子、泣き出す。
陽鞠「ばぁば……」
佳也子「軽蔑、したらええ。あんなケダモノ
 みたいな男にこっちから体許したわたしの
 こと、軽蔑したらええ」
   佳也子ににじりより、強く抱きしめる
   陽鞠。
陽鞠「なんでやのんよ、そんなわけないやろ。
 軽蔑なんかするわけないやん」
   激しく泣く佳也子を強く抱きしめる陽
   鞠。陽鞠も泣いている。

〇前同・佳也子の部屋(夜)
   ベッドの中でいっしょに寝ている陽
   鞠と佳也子。陽鞠、佳也子に抱きつ
   くようにして。
   床に置いたスマホからラインの着信
   音が鳴る。ベッドから出て、スマホ
   を手に取る陽鞠。画面をじっと見て
   いる。
陽鞠「なにが予定変更や。ついて行ったる」
   返信する陽鞠。すぐ後の着信音。
陽鞠「そやからついて行く言うてるやんア
 ホ」
   返信する陽鞠。またすぐの着信音。
   読みはするが返信をしない陽鞠。
陽鞠「もう知らん」
   スマホを床に置き、ベッドに戻る陽鞠。
   またラインの着信音が鳴る。無視をす
   る陽鞠。
佳也子「ええんか」
陽鞠「ええんよ、わたしのしたいようにする
 から」
   佳也子に抱きつき、その髪を優しく撫
   でていく陽鞠。
陽鞠「明日、サマルカンドの沖村さんにライ
 ンで、きれいに元の髪にできるか訊いてみ
 るから――わたし見たいんや、ばぁばのほ
 んまの髪の毛――なぁ、お願いやからもう
 自分のこと許してあげて、ばぁば」
佳也子「いっしょのこと、言うんやなあ」
陽鞠「え」
   陽鞠を抱き寄せる佳也子。
   
〇地下鉄・御堂筋線・車両内   
   進んでいる地下鉄。
   隣どうしで座っている陽鞠と寿道。
寿道「おばあさんには、訊いたん?」
陽鞠「うん、まあ」    
   コクンと頷く陽鞠。
寿道「そっか」
   しばらく無言の二人。
陽鞠「あのやぁ」
寿道「なに」
陽鞠「わたしらの推測は間違いやった。ばぁ
 ばはあの事件の人質やなかった」
寿道「え――そっか」
陽鞠「そこから先、訊かへんのん? ほんま
 はどうやったん、とか」
寿道「いや、それは杉原さんとおばあさんと  
 のことやから。ぼくが知るべきことやない 
 から」
陽鞠「――こういうところもやねんなぁ」
寿道「え?」
   ムスッとしている陽鞠。
寿道「えっと杉原さん、なんで今日いっしょ
 に来たいって」
陽鞠「そやから、あかんのん」
寿道「いや、あかんことないけど。けどやっ
 ぱりこういうことは自分一人でやるもん
 やから――」
陽鞠「勝手に決めんといてぇや、そんなん」
   ブスッとした顔つきの陽鞠を不思議
   そうに見る寿道。

〇なんばパークス
   屋外の商業施設。行き交う人々。地
   上にあるホームベース型の記念碑。
   それを見下ろしている陽鞠と寿道。
陽鞠「ここが野球場やったなんて、信じられ
 へん」
寿道「うん。南海ホークスのホームスタジア
 ム、大阪球場。ここがほんまのホームベー
 スがあった場所や」
陽鞠「え、まってよ。なんで南海ホークスや
 の? 日本シリーズに出たのは近鉄バファ
 ローズやろ。近鉄の球場でやらへんかった
 ん?」
寿道「うん、当時の近鉄バファローズのホー
 ムやった藤井寺球場はナイター設備がな
 くてな、第二ホームの日生球場は収容人
 数が規定の三万人に満たへんくて、近鉄
 が南海のホームやった大阪球場借りてやっ
 たんが、1979年の日本シリーズなん
 や」
陽鞠「ふーん、そうやったんや」
寿道「ピッチャーズプレートの記念碑もあ
 るんやで」
   前を指さす寿道。歩き出す。ついて
   いく陽鞠。
   ホームベースの記念碑から十八・四
   四メートル先のピッチャーズプレー
   ト記念碑の前に立つ二人。
寿道「ここに、江夏豊が立ってたんやな。こ
 こから『江夏の21球』投げたんやな」
陽鞠「立ってみたら」
寿道「え――それはできんよ」
陽鞠「なんでよ」
寿道「なんか、やっぱりそれはできひん」
陽鞠「遠慮しぃ。こんなん気がつかんと、
 だれも踏んでってるわ。ほら、立ってみっ
 て」
寿道「――うん」
   記念碑の上に立つ寿道。まっすぐ前を
   見る。その方向へ歩いて行く陽鞠。
寿道「え、杉原さん?」
   陽鞠、ホームベースの記念碑の後ろに
   立つ。
陽鞠「春野くん!」
寿道「なんや」
陽鞠「言うてみてよそこから。今わたしに思
 ってること!」
寿道「思ってることって」
陽鞠「ないん? あるやろ! 言うてって!」
寿道「あの、なんで」
陽鞠「なんでもええやん! 聞きたいんよ!
 ほら、言うてって!」
寿道「――ぼくは、杉原さんといっしょのク
 ラスになれて嬉しい。一学期、隣の席にな
 れて、嬉しかった」
陽鞠「まあ、ストライクワン。それから!」
寿道「『それから』って」
陽鞠「それだけ? まだあるやろ。二球目投
 げてきてぇや!」
   カップルが気づき立ち止まる。
寿道「ツレやとか言ってくれて、ラインの交
 換とかしてくれて、いっしょに市立図書館
 行ったり、今日ここに来れたりして、嬉し
 い」
陽鞠「ストライクツー!」
   もう一組のカップルが立ち止まり、二
   人の様子を見る。
   寿道、俯く。
陽鞠「どないしたん!」
   首を横に振る寿道。
寿道「そこまでや。それで終わりや」
陽鞠「なんやのんそれ。ワンボールや」
寿道「ぼくはこんな体や。走ることもできん。
 体育の授業に出たこともない。見たやろ、
 毎日たくさん薬飲んでる。いつまた手術せ
 なあかんか分からん。そんな体なんや」
陽鞠「なんやそれ! ボールツー!」
寿道「それがぼくや。これからずっとずっと
 続くぼくなんや。そんなぼくが、これ以上
 杉原さんになにを言えるのん」
陽鞠「ボールスリー! キャッチャーも捕ら
 れへんクソボールでフルカウントや! 
 言うたやろ、今わたしに思ってること言
 うてって! 今春野君がわたしに思って
 ること! いちばん思ってること! そ
 れを聞きたいんやわたしは!」
   顔を上げる寿道。
陽鞠「わたしに言わせるのん、それ!」
 じっと見つめあう陽鞠と寿道。
寿道「――好きや」
陽鞠「なんて! 聞こえん! ファウルや!
 もっと大きい声で言うてぇや! 恥ずか
 しいん!」
   寿道、深呼吸して。
寿道「好きや! ぼくは杉原さんのことが
 好きや! 大好きや!」
陽鞠「ストライク! バッターアウト! 
 三振や!」
   カップル二組が二人に拍手をする。

〇地下鉄御堂筋線・車両内
   帰りの車両内。隣どうしに座っている
   陽鞠と寿道。固く繋がれたその手。   
陽鞠「ごめんな」
寿道「え、なにが」
陽鞠「ばぁばのことや。分かったことあるん
 やけど、それは二人だけの秘密やねん。そ
 やからごめんな」
   頷く寿道。
寿道「ぼくの名前な、今もいっしょに住んで
 るおじいちゃんがつけてくれたんや」
陽鞠「え」
寿道「寿道の寿の字には、長生きするって意
 味があるんや。生まれた時から心臓悪かっ
 たぼくのために、つけてくれた名前なんや」
陽鞠「いっしょやん」
寿道「『いっしょ』って?」
陽鞠「わたしの名前もな、じぃじがつけてく
 れた名前なんよ。お陽さまの下で鞠ついて
 遊ぶような元気な子になるようにって」
寿道「そうなんや」
陽鞠「けどやぁ、センス古ない? 鞠つきや
 で」
寿道「気に行ってないのん」
陽鞠「めっちゃ気に入ってる」
   笑いあう二人。

〇ファミリーレストラン・店内
   ボックス席で向かい合って座ってい
   る陽鞠、凛香と彩美。
彩美「ほんまに、ほんまに春野君とつきあ
 うん?」
陽鞠「ていうか、もう三日前からつきあっ
 てるし」
彩美「前田君のことは?」
陽鞠「明日、ちゃんと断る」
彩美「春野君、かぁ」
陽鞠「おかしい、彩美?」
彩美「いや、おかしいとかは、べつに思わ
 へんけど――」
凛香「わたしは賛成できひん」
   凛香を見る陽鞠。
凛香「手ぇ繋いで終わりやないよ。キスし
 て終わりやないよ。そこから先、春野
 君大丈夫なん?」
陽鞠「凛香」
凛香「走るのもできひん春野君が、陽鞠
 とセックスすることできるん?」
彩美「凛香、それは」
凛香「大事なことやから訊いてるんや。
 そんなん陽鞠かて分かってるやんな。
 好きどうしになるって、結局そういう
 ことなんやで」
俯く陽鞠。
凛香「無理や、春野君には。今からで
 も遅ない、やめとき」
彩美「なあ凛香、セックスって男の人、
 やっぱり、そんなに?」
凛香「佑志君はすごく優しくしてくれ
 る。わたしがそんな気分にならへん
 ときは、手ぇ握ってるだけのときも
 ある。避妊も絶対してくれて、宝物
 触るみたいにして抱いてくれる。け
 ど、最後の方はやっぱり激しくなる。
 最初はびっくりしたけど、今はその
 激しいのが嬉しくなってる。そやか
 らわたしも負けへんように、佑志君、
 力いっぱい抱きしめる。そんで、いっ
 しょに果てる。それがセックスやで、
 陽鞠」
陽鞠「――わたしが動いたらええんやろ」
彩美「最初から?」
   頷く陽鞠。
凛香「あんたなあ、めっちゃ痛いんやで
 最初って。どこに初めての時自分から
 男リードする女がいてるんよ」
陽鞠「ここにいてる。春野君なあ、一歳
 のときから生きるか死ぬかの大手術六
 回も受けてきてるねん。六回目は成功
 率三十パーセントやってんて。めっちゃ
 怖かったはずやわ、思わへん? そん
 なんに比べたらなんでもないわ」
   アイスミルクティーのストローに
   口をつける陽鞠。
   陽鞠をじっと見ていた凛香と彩美。
   やがて凛香、フフッと笑って。
凛香「分かった。もうなにも言わへん。
 春野君、一年の時いっしょのクラスやっ
 たけど、ほんまに優しい子やなって思っ
 てた」
陽鞠「凛香――ありがとう」
彩美「あー、なんなん。これでひとりな
 んわたしだけやんかー。わたしも彼氏
 ほしいー」
陽鞠「大丈夫やって、彩美やったら」
凛香「うんうん、すぐにできるできる」
彩美「根拠がなーい、気持ちがこもってなーい」
   笑う陽鞠と凛香。
   凛香、陽鞠の頭に手をやり、髪を撫で始
   める。彩美も。
陽鞠「ちょっと、なにぃよ」
凛香「撫でたなるねん、陽鞠のこの髪」
彩美「わたしもそうや」
陽鞠「もう、そんなに気安ぅ触らんといて」
凛香「いーや、気安ぅ触りたい~」
彩美「わたしも~」
   嬉しそうに二人にされるがままにな
   っている陽鞠。

〇朔ヶ原高校・体育館入口
   立っている陽鞠。コートでは男子バ
   スケットボール部が練習中。出てく
   る前田。
陽鞠「ごめんな、練習中に」
前田「かまへんよ」
陽鞠「返事、待たせてごめん」
前田「うん、で?」
陽鞠「あんな、わたし前田君とはつきあえ
 へん」
前田「え――あの、なんで?」
陽鞠「好きな人ができてん。そんでもうつ
 きあってる」
前田「ちょ、誰なん、それ」
陽鞠「同じクラスの春野寿道君や」
前田「へ? 春野って、あの春野?」
陽鞠「そうや」
前田「体育の授業出られへん、あの春野?」
陽鞠「そうや」
前田「いやいやいやいや、冗談キツイで杉
 原さん」
陽鞠「なにが冗談なん。ほんまや。わたし
 はついこの前から春野君とつきあってる」
前田「マジで?」
陽鞠「マジや。明後日いっしょに二色の浜
 行くねんよ」
   陽鞠をじっと見つめる前田。
前田「俺より春野選ぶわけ? 俺、あんな
 ガチの陰キャに負けたわけ?」
陽鞠「はい、言うた~」
前田「え」
陽鞠「なんかそういう事言うような気がし
 てたわ。そしたらこれで」
   立ち去ろうとする陽鞠。前田、その背
   に向かって。
前田「なんやぁ、たいした女やなかったん
 やなあ、おまえ」
   陽鞠振り返って。
陽鞠「ふられたらいきなり『おまえ』かぁ。
 心技体いう言葉、毎日千回書いてから寝
 ろ、おまえは」
   去っていく陽鞠。
   体育館の壁を激しく蹴り上げる前田。

〇二色の浜海水浴場
   海水浴客で賑わっている砂浜を並ん
   で歩く陽鞠と寿道。寿道、肩にかけ
   た大きなタオルを首前で軽く結ぶよ
   うにして、胸板を隠すようにしてい
   る。
     ×     ×     ×
   砂浜にビニールシートを敷いて座っ
   ている二人。
陽鞠「なぁ、いつまで隠してるつもりなん、胸」
寿道「――うん」
   タオルを外す寿道。胸にくっきり大き
   く残る三十センチほどの手術痕。
   俯く寿道。手術痕を見つめる陽鞠。
寿道「ムカデ這ってるみたいやろ。恥ずか
 しい体や」
陽鞠「怒るで。そういうところは直して
 ほしい」
寿道「え」
陽鞠「なにがムカデやのん。どこが恥ずか
 しいのん。戦ってきた人の体や。戦って
 戦って、それに勝ってきた人間の体や。
 わたしは、そう思う」
寿道「――ありがとう。もう言わんし、
 そんなこと思わんようにする」
陽鞠「うん――水着似合ってる? かわい
 い? めっちゃ時間かけて選らんでんで」
寿道「よう似合ってる。かわいいで。それ
 に」
陽鞠「それに?」
寿道「水着もやけど、杉原さんがかわいい」
   じっと寿道を見る陽鞠。やがて後ろに
   バタッと上半身を倒す。
陽鞠「あー、もう、そういうとこやねんなあ!
 なんなんそれ!」
   足をバタバタさせ、そのまま寿道の手 
   を握る陽鞠。
陽鞠「ていうかな、いつまで『杉原さん』
 なわけよ」
寿道「けど杉原さんかてぼくのこと『春野君』っ
 て言うやん」
陽鞠「そうやけど――そしたら今日から下の名
 前でいこか」
寿道「呼び捨てで?」
陽鞠「呼び捨てで」
   空を見上げている陽鞠。海を見ている
   寿道。   
寿道「なぁ」
陽鞠「なに」
寿道「向こうの方の波打ち際、あんまり人い
 てへん。行ってみいひんか――陽鞠」
陽鞠「うん、寿道」
   体を起こす陽鞠。手を繋いだまま人の
   少ない波打ち際まで歩いていく二人。   
寿道「こんなんやねんな、海の水って」
陽鞠「なあ、座ろうや」
   頷く寿道。波打ち際に腰を降ろす二
   人。
寿道「あんな、すぎは――陽鞠」
陽鞠「なに」
寿道「卑下してるわけやないんやけど、ぼ
 くな、こんな体やろ。そやから――」
陽鞠「そやから?」
寿道「そやから――」
陽鞠「そやから、なに?」
   寿道をじっと見つめ、手術痕に手を
   当てる陽鞠。驚く寿道。ゆっくりと
   その胸を撫で始める陽鞠。
寿道「あの、杉原さん」
   陽鞠、寿道の耳元に口を寄せて囁く。
陽鞠「また『杉原さん』とか言うた」
   胸への愛撫を続ける陽鞠。寿道が勃起
   している事に気づく陽鞠。
陽鞠「勃ってますけど、春野君」
寿道「――そら、そんなんされたら、そうな
 るわ」
   声を上げて笑う陽鞠。
陽鞠「元気いっぱいやないの。どんとこい、や」
寿道「『どんとこい』なん?」
   微笑んで頷く陽鞠。
陽鞠「まぁでも、卒業してからにしよか。わた
 しもつきあうんなんか初めてやし。ゆっくり
 いきたい。デート、いっぱいしようや」
   仰向けに寝そべる陽鞠。
陽鞠「ほら、寿道も。気持ちええで」
寿道「うん」
   寿道も仰向けに寝そべる。二人、手を
   繋ぐ。快晴の空を見上げる
陽鞠「きれいな空やわあ」
   寿道、無言。寿道を見る陽鞠。寿道、
   泣いている。
陽鞠「なに泣いてるのん、勃ってるくせに」
寿道「うるさいわ……」
   陽鞠、微笑んで空を見上げる。寿道、
   泣き続けている。波打ち際に寝転び、
   固く手を握り合っている二人。

〇サマルカンド・店内
   沖村が椅子に坐った佳也子の髪の毛
   の色を抜く作業をしている。ソファ
   に座ってその様子を見ている陽鞠。
     ×     ×     ×
   作業を終える沖村。
沖村「陽鞠ちゃんよりも……」
   鮮やかな赤い髪に感嘆の声をあげ
   る沖村。
陽鞠「これが、ばぁばのほんまの髪やってん
 な」
   鏡に映るバーガンディの自身を見つ
   める佳也子。
佳也子「あの人の言うとおりやったなあ。ま
 た見せてあげることできひんかった」
陽鞠「え?」
   佳也子、寂し気に笑う鏡に映る自分
   を見つめて。
                (F・O)

〇さくらキッチンスクール・事務所
   黒電話の受話器を耳に当てている佳
   也子。
佳也子「うん、分かった。行くから」
   沈痛な表情で受話器を置く佳也子。

〇夢山ハイツ203号室(夜)
   座卓の上に乗った大盛りの焼きそ
   ばを、グラスのビールを飲みなが
   ら旨そうに食べている順平。
佳也子「ごめん、今日時間なかったから、そ
 れしか作られへんかった」
順平「なに言うてんねん。これで十分や。
 うまいわ、ほんまに」
   焼きそばを頬張る順平をしばらく見
   ている佳也子。
佳也子「ちょっと、出てくるから」
   立ち上がる佳也子。
順平「へ? こんな時間にどこにや?」
佳也子「香里と美幸に会う約束してるんよ」
順平「――ついていくわ」
佳也子「あかん」
順平「そやかておまえ」
佳也子「お願い、言うこときいて」
順平「いっしょに行くって」
   立ち上がりかける順平。
佳也子「ついてきたら別れる! 本気や!」
   そのまま動けなくなる順平。
   部屋を出ていく佳也子。

〇公園(夜)
   公園の片隅。向かい合っている佳也子
   と香里、美幸。
香里「心配してるんやろ、わたしらが警察に
 あの男とあんたが関係あったこと話すの」
美幸「安心し。それ言うたら、わたしらか
 てあいつの店に行ったことあるって言わ
 なあかんの。まあ事件のだいぶん前のこ
 とやから、言うたところでたいしたこと
 ない思うけど、変な噂の元になってもい
 ややし。警察にいろいろ訊かれるのこり
 ごりやし。二人で話して黙っとこって決
 めたんよ」
佳也子「香里、美幸……」
香里「気安ぅ名前呼ばんといてぇや、なあ」
美幸「ほんまに。もうあんたとは友だちで
 もなんでもない。それ言いにきたんや」
佳也子「……」
香里「新聞や雑誌読んで知ってるんやろ。
 わたしら全部脱がされてなぁ、あいつ
 の言う順番通りブラもパンティも脱い
 でいってなあ、あいつの周りに座らさ
 れてん。『おまえらは肉の盾や』いう
 てなあ」
美幸「なあ、なんであんたがあの日にい
 てへんかったん。あの男とセックスし
 たあんたがなんであの日にいてへんかっ
 たん? わたしら不思議でならんのよ」
香里「あいつな、言うたんやで。『処女
 貰た女が居てた銀行やから、ゲンがえ
 え思ってここ襲うことにしたんや』言
 うてな」
佳也子「そんな……」
香里「ほんまや。わたしらの肩抱きなが
 ら、わたしらだけに聞こえる声で言う
 たんや。今でも夢に出てくるわ」
美幸「よう聞き。あんたがあの男に抱か
 れてへんかったら、あの男は他の銀行
 襲ってたんや。候補は他にもあったっ
 て言うてたからな。そしたらわたしら
 あんな目に遭わんでもすんだんや」
   俯いて無言の佳也子。

〇夢山ハイツ203号室(夜)
   食べかけの焼きそばを前にじっと
   している順平。立ち上がる。部屋
   を出ていく。

〇公園(夜)
香里「佳也子、あんたの初めての男は、殺人
 犯の緑山勝次や」   
美幸「警官二人と支店長の船曳さんと最初に
 防犯ベル鳴らした鈴木君を殺した緑山が、
 あんたの最初の男や。あんたが遊びで抱か
 れたなぁ。そんでその遊びがあの事件のき
 っかけや」
佳也子「そんな、そんな……」
   手で顔を覆い泣き出す佳也子。その場
   にうずくまる。
香里「辛いん? けどなあ――わたしらはもっ
 と辛ぁて怖かったんや!」
   佳也子を蹴り上げる香里。地面に転が
   る佳也子。

〇街路(夜)
   佳也子を探しながら駆けていく順平。

〇公園(夜)
香里「どんな思いした思ってるのん! あ
 んたのせいや! ぜんぶあんたのせいな
 んや!」
   佳也子を蹴る香里。美幸、腰を降ろし、
   佳也子の髪の毛を掴み、顔を上げさせ
   る。   
美幸「あんた『きれいやなあ』ってこの髪撫
 でてもらって、体中ベタベタ触られて、あ
 男とセックスしたんやんなあ。四人も殺し
 たあの男となあ。気色悪ぅ」
   佳也子の頬を思い切り往復ビンタし
   てから、顔に唾をベッと吐く美幸。
   美幸、立ち上がると、佳也子の尻を
   思い切り蹴り上げる。何度も蹴る。
   荒い息を吐いて美幸。
美幸「腹はやめといたる。優しいやろ――
 あんたは運のええ子なんやわ、きっと」
   すすり泣く佳也子。
   順平、公園の前を駆け抜けようとし
   て、三人に気づく。
順平「佳也子っ!」
   駆け寄る順平。
香里「あらら、王子様の登場かぁ」
美幸「そうやって男に縋って生きていくん
 よ、この子は」
   順平、腰を落とし佳也子の両肩に
   手をやり、二人を見る。
順平「なんでや。なんでこんなこと――
 友だちやろ」
美幸「はっ、笑わさんといてぇや。こん
 な汚い女と友だちなわけないやんか。
 なあ、杉原さん、ええこと教えたろか。
 この女はなあ」
佳也子「やめてっ!」
美幸「やめへん。この女の最初の男はな
 あ、緑山勝次やねんで」
順平「えっ……」
香里「短大の時に彼氏いてて、それが初
 体験やって聞かされてるらしいやん。
 嘘や。あんた騙されてるんよ」   
佳也子「やめて、やめてぇ……」
美幸「あの男のスカイラインの助手席乗っ
 て、最初はステーキハウス。ええ肉食
 べてええワイン飲んで、その後六甲山
 までドライブ。六甲山で綺麗な夜景見
 ながらキス。で、最後は神戸のラブホ
 テル。そやんな佳也子。そこでバージ
 ン捧げたんやんなあ。四人殺してわた
 しら裸にして喜んでた犯罪者になぁ。
 嬉し気に聞かされてるから全部知って
 るねんよ」
   佳也子の嗚咽、止まらない。
香里「杉原さん、佳也子のことこないに
 したわたしらのこと、恨んでくれてえ
 えよ。今の話し聞いてあんたがこの女
 のこと好きでい続けられるんやったら
 な」
   去っていく香里と美幸。
順平「佳也子」
佳也子「そやから、そやから来んといてっ
 て言うたんや!」
   顔を上げ順平を見る佳也子。
佳也子「別れよ、順平」
順平「え」
佳也子「全部ほんまなんや。あんたのこと
 騙してたんや。わたしの最初の男は緑山
 勝次なんや」
順平「佳也子」
佳也子「こんなんされて当たり前や。わた
 しがきっかけになったんやあの事件」
順平「そんなわけ――」
佳也子「そうなんや! わたしがあの男に
 抱かれてへんかったら、あの事件は起き
 てへん! 人四人も死んでへん! 香里
 や美幸が酷い目に遭ったりもしてへん! 
 ぜんぶわたしのせいや! フラフラ遊ん
 で、あいつに抱かれたわたしのせいなん
 や!」
順平「――気づいてやれんかった。ごめん
 な」
   佳也子の両肩を掴んだ手に力を込め
   る順平。
順平「あの事件からこっち、おまえ様子がお
 かしかった。勤めてたところがあんなこと
 になって、友だちが酷い目に遭わされて、
 それがよっぽどショックなんやろな、くら
 いにしか思ってなかった。苦しかったんや
 な。気づいてやれへんでごめんな」
佳也子「順平……」
順平「やっぱりいっしょについて来てやって
 たらよかった。そしたら、土下座でもなん
 でもして、おまえの代わりに、俺のこと気
 がすむまでどないにでもしてくれって言え
 たのにな。ごめんやで。許してや」
   優しく佳也子の髪を撫でる順平。
佳也子「あんた、どれだけアホやのん。わた
 し、あんな事件起こした男に抱かれてん
 で。あんな男が初めての男やねんで。あ
 んたのこと、ずっと騙してたんやで」
順平「それがどないしたんや。おまえは
 そのときの自分の気持ちに正直やった
 だけやないか。もう自分の事、許した
 れ。な」
佳也子「聞かれたなかった。順平に知られ
 たぁなかった……」
順平「俺は、知れてよかったって思ってる。
 そやなかったら、これからおまえひとり、
 苦しい思いさせて生きていかせなあかん
 かった。そやろ」
佳也子「順平、順平……」
順平「うん、うん。もうなんも言ぃな」   
佳也子「わたし、この赤い髪嫌いや。大嫌
 いや――染める。明日美容院行って黒に
 染めてくる。髪染め買って自分でも染め
 るようにする。もうこの髪で生きていき
 たぁない」
順平「うん。おまえがそないに思うんやっ
 たら、そないにしたらええ」
   泣きじゃくる佳也子。
順平「ほら、いつまでも泣いてんと。どっ
 こも痛いところないか」
   佳也子を立ち上がらせる順平。
佳也子「恨まんといて。お願いやから香里
 と美幸のこと恨んだりせんといて」
順平「うん、うん。分かってる――よう汚
 れてしもうたなあ。帰って風呂屋行こな」
   佳也子の服についた砂を払う順平。
 佳也子、泣き続けている。
順平「俺も頑張って、風呂のある一戸建てく
 らい買えるようにならんとなあ」
   二人、身を寄せ合って歩き出す。

〇路上(夜)
   並んで歩いている二人。グズグズ泣き
   続ける佳也子の肩を抱き、引き寄せる
   順平。
順平「そやけどな、佳也子。髪、黒に染めた
 かてな、またいつかな、神さんからの授か
 りものみたいなこのきれいな赤い髪に戻し
 たいって思う日がくるはずやわ」
佳也子「来ぃひん。そんな日、絶対来ぃひん」
順平「いやぁ、来るような気がするなぁ。そ
 のときはいちばん最初に見せてや」
佳也子「来ぃひんねん、そんな日は……」
順平「佳也子!」
佳也子「なによ」
順平「明日っからほんまに二人で生きていく
 ぞ! ええな! 俺をそんな器のこんまい
 男や思うなよ! なんでもかんでもどんと
 こいや!」
佳也子「プロポーズなん、それ?」
順平「あかんか? うちの社長、仲人、記念
 の十組目になるんやってよ」
佳也子「どんなタイミングでしてくれてんの
 よ、あんたほんまにアホやわ……」
順平「アホアホ言ぃな」
   寄り添って歩いていく二人の後ろ姿。
   それが闇に消えていって。

〇メインタイトル
〈恩寵のバーガンディ〉
                (了)


散文(批評随筆小説等) シナリオ「恩寵のバーガンディ」②(新人シナリオコンクール・三次選考通過作品) Copyright 平瀬たかのり 2023-04-15 20:30:19
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