汽水域
山犬切

三月、姉と一緒に歩くコンビニ帰りの冬道では雪が降っていた 夜気で烏賊墨がかかったように黒い近所の景色がこんこんと降る雪で白く塗り替えられていく様子はそれだけで普段と違うちょっとした非日常だった 姉はおもむろにマンションの横の道で積もった雪を丸めて黒い虚空へ投げつけ、熱い息をついた 寒い夜はとても熱く感じられる 「ねえ、雪だるま作ろうよ」 姉は元気に言い、雪を搔き集め始めた 姉は普段、僕などがまず読まない難解で高尚な哲学や人類学の本を読んでいる人だった 勉学に励む姿勢が他人より際立っていて、知識を深く愛していた 姉には韜晦癖のようなものがあり、僕含む家族にも自分の付き合っている男の匂いを全く感じさせなかった 姉は台湾の美女のような外見をしており、その見た目は弟である僕の凡庸な見た目とはかけ離れていて 基本的に真面目な姉がそうやって糸を緩める姿を見せることは珍しく稀だったので、雪というのは人を不思議で玄妙な気分にさせるなとそう思い僕は姉の遊びに付き合った 雪を丸く捏ねて大きくした玉を二つ作り一つをもう一つに上乗せするところまではうまくいった が、顔にあたる上の部分の目や口や鼻を現わすパーツをどうしようか―ということに思い至り僕は姉と相談した そこで家から蜜柑を二つ持ってきて、公園や道や草むらといったその辺に落ちてる石と木の枝と茶色の葉っぱを使って顔を作ることにした 無事、雪だるまは完成した 最後に姉が自分の首に巻いていた深紅のマフラーを首にかけて携帯で写真を撮った あとでInstagramやTwitterにでもアップするのだろう ニット帽を被った姉は「帰ろっか」と言った
家に帰って床暖房のよく効いたオレンジ色の部屋で姉と一緒にジャックダニエルや白ワインを飲みながらとりとめのない話をしていると、姉は「そっか、彰ももう大学生かー」といい、電灯の下で冬の日射しのように力の弱い目元だけで笑った 大して酒の強くない姉は1時間ほどの飲酒でしたたかに酔い、リビングの黒い革張りのソファにどたり、と身体を投げ出すように横になった 「部屋まで運んで―」と明るく俺に要望したので、僕は肩を貸して姉の自室まで体を運び、彼女を羽毛布団にそっと寝かせた 姉は「着替えさせて…」と甘い声で言い、酔って変な気分になっているのか?と僕は思ったが、僕は姉の言う通り着替えさせ始めた 姉はとっくにすーすーと眠りについている 一旦敷布団の上にある掛け布団を剥いだら何かの形が見えたので近づいてみるとそれはディルドだった 真面目に見える姉も普段はこれで慰めているのか…と感懐に浸りつつも、茶色のニットのセーターをずるずると脱がしピンク色のブラジャーを外すと上半身が完全に裸になった姉の肢体があり、メロンのような乳房が雪明かりに照らされてたゆたゆ、と揺れていた 僕は〈血族〉ということを考えた 家系という不可視に枝分かれする無数の世代というのが綿々としていまここに繋がっていて、それは巨大な樹木のようで、それが今ここという現実で姉の肢体という形式で果実をつけるように結実しているのだ 姉の肩も腰も顔も胸も脚も尻も性器も全てが家系という樹形の先端についた果実のようなものなのではないか― しかし僕という身体を考えると血は繋がっているのにそれはちっとも果実らしくないと思った それは男女の違いだろうか? さらに僕は姉を犯そうか?と考えた 姉のたゆたゆと揺れる乳房を見て俺が思い描いたのはなぜか永い時を超えて流れ続けた川が海にたどり着いてどこまでも流れる情景だった… 流れ続けた川が海に接する領域のことを”汽水域”というらしい 俺がここでくだらない近親相姦のタブーを犯して姉と合体したら毎日の幾分の嫌悪を確かに含んだ習慣の世界からも解放されて、きさらぎの太陽が水面でゆらめく瞬間ごとに変幻する再生の海に漕ぎ着けられるのではないか? 社会に定義されたルートである、ちっとも近づかない丘の見える道を歩くという真綿で締め付けるような塩辛い忍耐と苦行から解放されるのではないか? 僕は迷ったがそうせず藍色の水玉模様の前開きのパジャマを姉に着させて作業を終え、古今和歌集を読んで寝た
翌日、雪がこんもりと桜に降り積もっていた ブルーシートの上で姉が作った弁当の甘く綺麗に黄色いだし巻き卵を食べていると、南風が僕らを撫で回した 「甘いね」 姉は笑顔でそう言った。


自由詩 汽水域 Copyright 山犬切 2023-01-16 09:16:58
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