神隠し
ただのみきや

人類の記憶の総体から
名札のない死体ばかり幾つも幾つも
バラバラにされて脈略もなく
いたるところからあふれ出して来る
机の抽斗から冷蔵庫から本の隙間から
シャワーを捻ればそこからも
一匹の大きな蛾が意識の縁をまわっていた
生活は結晶化した硬質なものではなく
絶えず更新されながら抜け落ちていく
ランプの周りを一匹の蛾がまわっている
近づきすぎて歓喜に燃えて
かすかに匂う音
限りなく折り畳まれた地図
肉体に潜む壊死した血だまりから
黒い根が這いのびて形を変えながら
物語を紡ぐ刺青のように
やがて純粋な装飾へ変わっていく
隠れた獣を追い立てて獣に喰われて
稀人をもてなして稀人に連れ去られ
いつも失い
いつも残された
この目が耳が知るもの
指先や皮膚が触れたものを
現実と呼んで疑わないことは
見たことも触れたこともない
神を疑わないことによく似ている
日常という意識の破線
道路の白線を綱渡りする子どものように
踏みはずせば落ちる
ゴッコのルールで
悲劇を楽しむ祭り
その装置は維持されて
自分で漕いでか慣性に漕がされてか
どこにも行けずに空回る
ネズミの夢は駆けてゆく
日常は迷信であり
村八分を見出す装置であり
生贄にされて神隠しに遭って
やがて稀人として再来するか
それとも八分として追い出すか
塩を撒け 戸板も閉めろ
だが床下は口を開けている
這い上がる影は
おまえ自身が殺したおまえの双子のかたわれか
みぐるみ剥いで殺して埋めた
金糸雀売りの行商人か
それとも幼なじみ
母親以外でおまえが初めて裸を見た少女
神隠しとうそぶいて
全部おまえが殺したのだ
殺されたのは全部おまえだ
ランプの周りを大きな蛾が飛びまわる
焼け焦げる かすかなささやき
灯りがとどくわずかな所で
おまえはなにを書いている
おまえの影はどこへつながっている


雨粒ひとつ光に染まり
にわかに個
あるいは孤
時の疾風の凪ぐ刹那
人はひとつの顔を持ち
こころに無数の仮面をつける
笹舟に乗せた霊の息づかい
同じころ
誰かがそっと伸べた柳のような手を取って
金槌にしたりバールにしたり
ことばを使役することはできない
素直に従順に歩み寄り
掻き乱すtrickster
過ちの初め それは
気持ちに名前をつけたこと
今では名前が先に在ったかのように
主を気取り
気持ちに対して暴力的に貞操を強制する
わたしの伸ばした手が
棘のある蛇に見えたと言う
刃を持って柄を渡そうとしても
あなたには同じことだった
その耳の外縁をなぞる
杯から跳ねる魚
雨を降らせる歌声の踏み分けた
どこにもないと混同されたままで
羽衣の破れた
顔のとけ落ちた
つらなる時間の裸形
ちいさな空白の連綿が
ひとりで喰らう心臓の味
大切なものの神隠し



                      《2022年9月4日》









自由詩 神隠し Copyright ただのみきや 2022-09-04 11:32:09
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