歩きスマホはよくない
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わたしの散歩地図は人通りの少なさを最優先で作成されます。するとふるかったり、怪しかったりする道で構成されてとても具合がよかった。雨でなければ週に四、五日は歩き回ります。
枯れた花は、蕾や咲きほこる花びらに負けないくらい美しい。首輪を締められた犬は、わたしと目が合うと(いや誰とでもの筈だが)大抵が視線を逸らさず、すれ違ってはふり返る。ひとつとして同じではない雲は、必ずその日一番のわたしのお気に入りが見つかる。鉄筋や甍の連なりをついつい数えてしまう。鳥が飛ぶ度にもだ。子どもの頃は息を数えるのにも夢中になった。かならず早々に挫折するのも飽きなかった要因だろう。
人はあまり見ない。素敵な服飾や美しい匂いに心が拘束されてしまうから。ひとたび意識が人に向けられてしまうと、ことばが沸きたち視界は何も捉えられなくなってしまう。せっかくの散歩は、あまりことばに頼らないで、感情にも溺れないで、まるくたのしみたいものです。するとわたしの散歩には、わたしを人から切り離すという目的が含まれる、といえるのかも知れない。
今日、こんなふうに歩きながら綴るのはやはり邪道な気分を味わいます。でもたまにはいいかな。
今日もふるい道です。とはいえどんなに長くても二十五粁程度の道のりです。同じ道をたどる回数が増えてきます。もちろん同じ道でも景色は毎回新鮮で、風と同様、二度と同じ表情はないけれど、これまで一度も歩いたことのない、ふるぼけた小径が散歩するたび見つけられたらどんなに幸せだろう。あの角を曲がれば無人のトタン屋根のバス停にひらいた傘がくるくる回りながら浮かんで、目をほそめたらあの日の少女が駆けさるくつ音がきこえる。まるでおとぎ話のような、基本無料(散歩中に飲酒等をひらめき課金される場合もままある)の妄想はどんな高額な遊びより退屈しない。これには、やっぱり破れちょうちんや物干し竿にひらひら揺れる子どもの色褪せたパンツ、ざらざらの年輪が浮きでた板塀なんかでないとしっくりこない。
どうしてだろう、子どもの頃から綺麗な町並みにうそ寒さを感じてしまうのは。人間内部の汚れを忘却させる意図が明確だからと考えてきたけれど、この歳になるとほんとうに汚れてしまったのでさらに通り一本迷い込んだ途端に路地裏は鉄錆びていて、水は乾きにくく、レールの振動や橋のたわみが増してゆくのは、どうしてだろう砂金が採れる地下水脈がどうどう流れ、甘いおち葉たきが健在で軽やかな灰は白く開かれるより舞いくだけながら小づくりな対流模型を顕すのだ。まぶしくない木陰、手ごろな高さの飾り塀の上で猫もゆっくり安らいでいる。これに烏も綺麗な町面が苦手な思いで繋がった同士。夏ともなれば、雨上がりにミミズがはい出て灼かれるくらいでないとナウシカが好きだなんて口がさけても言えません。←意見はわたし個人に向けるものです
問題は、自由落下しか(けっして上昇とは思えない)知らない、社会の発展に追従するだけのこれら裏街道の非生産性にあるってことくらい知っているのに固執してしまう理由にありました。この世界から赤信号はなくせません。だから、もしわたしに特殊能力がひとつ択べるのなら、わたしの歩度に合わせて信号機すべてが青に変わるこれ一択。もちろん信号は突然変わって周囲を混乱させたりしないよう最低でも数分前から密かに調整されていなくてはなりません。ほら。また赤信号でしょ? しかも最悪のタイミングを見計らったように。
といった大理不尽な怒りに屈せずおだやかに笑うのがわたしの人生の最終目標としてもよいです。ですがこのささやかな特殊能力に較べて下さい残機システムなんか邪道であります再接続(コンティニュー)制を断固拒否。タイムリープなんてもっての外ですし記憶が維持された若返りとかもうね、あれですよ目もあてられないくらい憐れな願望だけれど未だやめられずにおります。みなさん、もしかしたらを叶える力が道のどこかに転がっているなら、それをもしも拾ったらどうします? わたしは警察には届け出たりするものですか。それなりの幸せを絶やさずにあってくれたこれまでの人生を台無しにしちゃうまぼろしなのに、絶対誰にも渡さないでしょうそろそろ充電する頃合いでもあるし、結論。歩きスマホはよくない。


散文(批評随筆小説等) 歩きスマホはよくない Copyright soft_machine 2022-07-10 03:37:41
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