料理で俳句⑲ナポリタン
SDGs

本日のお品書き~ナポリタン~


  頬っぺまであかく汚してナポリタン

 日本の料理の中で一番不幸な歴史をもつのはイタリア料理だとおもう。夢中でナポリタンをほおばる幼児の姿は愛らしいものだが、このナポリタンこそ不幸の歴史の主原因なのだと推定してみるのも、あながち間違っていないはず。

 一九八三年にカゴメが「ブイトーニ」を、日本製粉(現・ニップン)が「バリラ」を、そして日清製粉が「ディ・チェコ」を扱い始めマーケティングを開始するまでは、中小の食品商社が細々と輸入していたに過ぎなかった。この三社の登場でパスタの食べ方提案や新しいメニュー提案などのマーケティング活動が始まり、以降十数億円の広報・広告費が投入された。

 それまで東京に本格的なイタリア料理店はあった。例えば銀座には「サバティーニ・ディ・フィレツェ」があり、青山には「サバティーニ青山」があった。いずれも在日イタリア人たちの御用達の店であり、日本人には馴染みが薄かった。一九八二年に赤坂に比較的リーズナブルな価格帯で「グラナータ」が開店したが、百席ある空間では閑古鳥が鳴いた。翌八三年には西麻布に「アルポルト」が開店。これまた閑古鳥が鳴いたが、幸運にも食品大手三社のマーケティング開始と重なり、一軒家レストランというブームにも乗り、人気に火がついた。これ以降は雨後のタケノコのようにイタリア料理店がうまれ、「イタめし」なる言葉も流行した。イタリア料理は本格的なものからカジュアルなものまで融通無碍に変化できるという利点もあり、一九八九年の「バブルへGO」の時代背景もイタめし人気を加速させた。

 こうしてようやく「ナポリタン」は(進駐米軍のイタリア系アメリカ人のコックに伝授された・諸説あり)日本の洋食屋さんの発明であり、イタリア料理ではないという認識が定着した。やれやれ。もちろんうまいナポリタンはうまい。(京都のイノダコーヒーのナポリタンは絶品)

 日本には麺を茹でて食べる習慣があり、その麺に様々な具材を載せたり混ぜたりする料理法があり、これはパスタも全く同じ。なのに戦後四十年近く「冷や飯を食わされた」のはなぜ?という疑問が残る。うどん・そば業界から製粉会社が圧迫を受けたから?日本は土壌が肥沃すぎていいデュラム小麦が取れないから?なぜ、なぜなの?

「アルポルト」には何度も行き「グラナータ」も頻繁に訪れ、いっぱしのイタリアパスタ通を任じている私だが、ときどき無性にナポリタンが恋しくなって、イタリア料理なんてどうでもよくなる。所詮わたしはB級グルメなのよねえ。


俳句 料理で俳句⑲ナポリタン Copyright SDGs 2021-05-25 18:52:17
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