この誹謗中傷投稿板の自称もどき詩人たちへ
一輪車

この一ヶ月近く、この投稿板で行われたデマ、誹謗中傷による
山のような差別と侮蔑をきみたちは平然と黙認してきた。
(非常に清澄な自他意識をもつ一名の投稿者をべつにすれば。)

きみたちは、
そのことに一ミリほども痛みも反省も感じていないようだが、
わたしにはまったく信じられないほど奇妙におもえる。
きみたちは日々、悩みや綺麗事を書いている。
「ぼくこんなにつらいんだよ」「ひどい世の中だ」「悪い奴は許せない」と
詩にしたため、また、
「わたしってこんなに正しいのよ」「わたしってこんなにやさしいのよ」
「うつくしいでしょ」
と賛同をもとめる詩を投稿する。
現実には、きみたちは、
いっさいの不正に目をつむってただ自分の内側にしか関心がない。
そのくせ他者にはじぶんのつらさや、苦しみを慰めてもらうべく
もどき詩にたくして内心を吐露する。
その意識の分裂がわたしにはわからない。
じぶんの苦しみや痛みを起点にしてどうして他者に目を向けられないのか。
ただ、観念の領域で遊びたいだけなのか。
じぶんをまきこみかねない現実にはいっさいの関心がないのか。
詩とはそんなデタラメな心的詐術を使っての逃避手段なのか。

いくらクソのようなもどき詩しか書けないからと言って
そんな虚無的な心構えから脱してはどうなのだ。
じぶんでは気がついてないだろうが、きみたち自称もどき詩人たちの
外部世界に対する姿勢は虚無だ。
うちわだけでわいわい和やかな世界をつくっているようにみえるが
擬態にしかすぎない。
田中宏輔と鵜飼千代子がストーカーのデマ誹謗中傷を「いいね」した。
仮にだ、
わたしが田中と鵜飼の、この二名を憎んでいても
わたしはストーカーのデマに便乗して「いいね」など押すような卑劣な
真似はしない。
それどころかわたしは最近のある時期まで田中宏輔の詩集や詩論を買って
応援していた。
田中が卑劣な某女流詩人を評価しているのをみてごく最近、いっさいの
関わりを断とうと考えるまでは。
その田中と某女流詩人を批判したとたんストーカーがあらわれてわたしの
デマを垂れ流した。
生活保護だとか、一日中パソコンに張り付いているだとか。
作品批評とは何の関係もない。
それを田中が「いいね」するなど、卑劣そのものだとわたしは考えている。
きみたちも
ストーカーのデマ、誹謗中傷を黙認していた時点で同罪だ。
ストーカーはこういう。
「おまえもやってるじゃないか」
これがどうやらこのデマ男の切り札だが、わたしが特定個人をストーカーして
誹謗中傷などしているかどうか
ふだんからみていてわかるだろ。

田中宏輔は昨日かたちばかりの謝罪をしてくれた。しかし鵜飼千代子は
まったく反省の色がない。
このばあさんには、わたしはまったく恨みもないし、そもそも会話ひとつ
したことがない。
ところがある日突然「死ね」だの相模原事件の感想のなかでわたしを
「無差別殺人鬼になりかねない」だのと迂遠に示唆するような
わけのわからない罵倒をコメントしてきた。
わたしがサヨクリベラルを批判しているからか。
わたしは相手の思想信条を論理的に反駁しても「死ね」などと罵倒しない。
おそらくわたしが蛾兆ボルカが2ちゃんねるでやっている
わたしへのデマ誹謗中傷がとまならいので、やむをえず蛾兆ボルカの
奥方に一筆したためてやめさせてもらった経緯が背景にあるのかもしれない。
つまり
知人の蛾兆を批判したからこのばあさんはわたしを憎んでいるのだ。
では
蛾兆ボルカはどうしてわたしを憎悪するのか?
それには重大な経緯がある。
それは次に詳しく語る。







散文(批評随筆小説等) この誹謗中傷投稿板の自称もどき詩人たちへ Copyright 一輪車 2021-04-02 03:43:43
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