NYCの交差点
番田 

昔僕は、NYCにいたのだ。車の行き交うタイムズスクエアで、友人と写真を撮っていたのだった。そして、僕は何も考えていなかった。まだ暗さの残る朝、友人を撮影し、遠くに、塔を中心として二股に別れた道を見ていた。空手道場の教室の看板が、見上げると、上の方で、白かった。でも、チェルシー界隈を僕らは地下鉄を乗り継いで、歩いた。アートギャラリーを見るためだったが、意外に古びた倉庫街で、そこを歩いているだけで、しかし、気分が高揚したものだった。入れ子パネルのような建物の通路の写真を、何枚か撮影したりした。アートギャラリーとしては新しいエリアで、作り途中のスペースもあったりしたことを覚えている。僕らのそういったスペースに入っては、また、引き返したあの日。でも、ハンバーガーを、通りに出してあった席で、食べていた。そして僕は光に照らされてたチップを遠くに見ていた。まだ短い、生きてきた人生についてを日除けの下で考えていた。黒いTシャツを来たアルバイトのような風体の男性が、何人か出入りしていた店の入口。テーブルに肘をつきながら、僕にもあのような日々が訪れるのだろうかと学生だったというのもあり、考えさせられていた。コインの置かれた紙幣が、風に揺れていたのだ。そして僕は、友人と何を話したのかはよく覚えていない。ただ、よく晴れた日だった。


最近は、コロナということもあり、何も考えていない朝。正しいことを、僕は考えたいと思っていた。でも、解体業者のトラックは、遠い昔の夢を見ているのだろうけれど。



散文(批評随筆小説等) NYCの交差点 Copyright 番田  2021-03-19 01:06:59
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