詩の日めくり 二〇一五年二月一日─三十一日
田中宏輔
二〇一五年二月一日 「樵」
30年ほどむかし、毎週土曜の深夜に、京大関係の勉強会かな、京大の寮をカフェにしていて、関西のゲイやレズビアンの文学者や芸術家が集まって、楽しく時間を過ごしていたことがあって、そこに樵の青年が来ていて、ぼくもまだ20代だったのだけれど、彼もまだ二十歳くらいで、その青年のことを、きのうふと思い出していた。文学極道に投稿されていた作品に、「樵」という言葉があったからだけど、その彼も生きていたら、50才くらいになってるんだな。いいおっちゃんである。この素晴らしく、くだらない、おもしろい世界に生きていたとして。この素晴らしく、くだらない、おもしろい世界で、20代、30代を過ごし、40代、50代を過ごすわけである。最高にくだらない人生を送ってやろうと思うわけである。最高にくだらない詩と、小説と、音楽と、映画といっしょに暮らすのである。大満足である。きょうもいっぱい、くだらない音楽を聴きまくって過ごした。音楽は、ぼくのくだらない人生におけるくだらない栄養源である。ぼくのどの作品にも音楽があふれているのは、ぼくのなかに音楽があふれているからである。音楽は耳からあふれるほどに聴きまくるのにかぎるのである。ビューティフル・ライフ。
二〇一五年二月二日 「模造記憶」
塾の帰りにブックオフで、ディックの『模造記憶』を買った。持ってるのだけれど、持っているもののほうの背が傷んでいたので買った。さいきん、お風呂場で読むものがなかったので、傷んでるほうを、お風呂場で読む用にする。ディックも、もういらないかなって感じだけど、ぼくの原点のような気もする。そいえば、ぼくがユリイカの新人に選ばれたユリイカの1991年度1月号は、ディック特集号だった。ディックといえば、『ヴァリス』の表紙がいちばん好きだけど、物語的には、やはり『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』がいちばんいい。ジーターによる続篇もよい。
二〇一五年二月三日 「収容所行き」
きょう、同僚の吉田先生が教職員のみんなに別れを告げた。明日、収容所に収容されるらしい。1週間前に行われた能力テストで不合格だったらしい。家族ともども収容所に行くように命じられたという。収容所では、医学の発展のために、生体解剖はじめさまざまな人体実験が行われているという。生きたまま献体する場所である。1年ごとに教職員みんながテストされて、ある能力に達していないと、家族ともども、国に献体させられるシステムなのである。いまのところ、ぼくには家族がいないので、家族の心配をする必要はない。自分のこともあまり心配はしていないけれども。
二〇一五年二月四日 「フンドシ・バーに行けば、いいんですよ。」
ひさびさに日知庵に行って
そのあと大黒に行ったのだけれど
大黒で飲んでいると
インテリっぽい初老の客が入ってきて
ぼくの隣に坐ったんだけど
キュラソ星人に似た顔の人だった
で
このひとが話しかけてきたので
答えていたのだけれど
このひと
旅行が趣味らしくって
このあいだアポリネールのお墓を見に行って
そのあとモジリアニのお墓を見て
イタリア語で書いてあるので
あらためてモジリアニがイタリア人だと思い至った話だとか
ヴェルレーヌの詩について話をしていたのだけれど
「きみも旅行すれば、内向的な性格が変わりますよ。」
とかとか言われて
「旅行は、嫌いです。」
と返答すると
「じゃあ、フンドシ・バーに行けば、いいんですよ。」
と言われた。
「フンドシ・バー?」
「堂山のなんとか通りを東に行って、そしたら
なんとかビルの二階になんとかというフンドシ・バーがあってね。
そこに行けば、第一土曜日と、なんとかは、9時まで
店員も客も、全員、フンドシでなければならないんですよ。
フンドシはいいですよ。」
「ええっ?」
「わたしも、ここぞっていうときには
部屋で、パソコンの前で、フンドシを締めます。」
「はっ?」
「フンドシをすれば、気が引き締まるんですよ。」
「そうなんですか?」
すると、大黒のアルバイトの子が
「ふだんと違う姿をすると、気分が変わりますよ。
真逆がいいんですよ。」
「ええっ?」
ぼくは苦笑いしながら
フンドシの効能について耳を傾けていたのだけれど
隣に坐った初老の客が
「きみも、フンドシが似合うと思いますよ。」
「そうですか?」
「きみは、身長、173ぐらいですか?」
「いえ、179センチあります。」
「そんなにあるの? 体重は?」
「80キロです。」
「40歳を少し出たところ?」
「いいえ、54歳です。」
「見えないなあ。」
「そうですか?」
「もてますよ。」
「はっ?」
「フンドシ締めるような子って
まあ、30代、40代が多いですが
きみ、もてますよ。
選び放題ですよ。」
「そんなはずはないでしょう?」
「いえいえ、もてますよ。
それに、フンドシ締めるひとって
エッチがねちっこいのですよ。」
「ぼく、淡白なんですけれど。」
「わたしはねちっこいですよ。」
「ええっ? (そんなん言われても光線発射!)」
「まあ、一度、フンドシ・バーに行ってみればいいと思いますよ。」
なんともへんな顔をして、ぼくは笑っていたと思うのだけれど
「マニアなんですか?」
と訊くと
「ただのフンドシ好きです。」
それをマニアと言うんじゃ、ボケッ
と思ったのだけれど
きわめて紳士的な初老のおじさまには
そんな言葉を発することもできず
お店の子に
「お勘定して。」
と言うことしかできなかった。
ふがふがぁ。
マスターのみつはるくんの髪型が変わっていた。
なんだかなあ。
短髪のほうがよかったなあ。
10年以上も前の経験だけど
ゲイ・サウナで
真夜中
うとうとしてたら
きゅうに抱きつかれて
なんだか重たいって思ったら
ぼくより身体の大きな子が上からのってきて
抱きつかれて
顔を見たら、かわいかったので
ぼくも抱き返したら
お尻のところに硬いものがあって
なんだろ、これ
って思って、相手の顔を見たら
笑ってるから
ええっ
って思って、しっかり見たら
フンドシだった。
フンドシ締めながら
チンポコを横からハミチンさせていたのだった。
「仕事、なにしてるの?」
って、たずねたら
「大工。」
って。
まあ、そんな感じやったけど
たしかにイカニモ系だったような記憶が。
で、付き合ってもいいかなって思って
長い時間
イチャイチャしていたのだけれど
もう帰ろうかなって思った時間の少し前に
「付き合ってるひと、いるの?」
って訊いたら
「うん。」
って言うから
そこで、ぼくは言葉を失って
身体を離そうとしたら
その子も、腕の力をすっと抜いたので
大きなため息をひとつして、彼のそばから
簡単に離れることができた。
フンドシの出てくる詩集を
串田孫一さんにも送ったことがあって
串田さんからいただいた礼状のおハガキに
「あなたの詩の最後に
フンドシという言葉を見て
なつかしく思い出しました。
わたしも戦争中と、戦後のしばらくのあいだ
越中褌をしていましたから。」
とあって、そんな感想をいただいたことを、
うれしく思ったことを思い出した。
そうか。
フンドシ好きは、ねちっこいセックスするのか。
で
ねちっこいセックスって、どんなセックスか訊くの、忘れた。
ふつうのと、どう違うのかなあ。
ぼくは、ふつうのがいいかな。
二〇一五年二月五日 「時間金魚」
きょう、時間金魚を買ってきた。時間金魚の餌は、人間の寿命である。きのう、時間金魚のための餌に、20才の青年を買った。青年の残りの寿命を餌にして、きょう、時間金魚に餌を与えた。時間金魚は、顔が人間で、与えられた餌の人間の顔になる。顔面が人間離れしてきたら、餌のやり時なのでわかる。
二〇一五年二月六日 「イエス・キリスト」
四条河原町で処刑されたイエス・キリストはクローンだったという噂だ。教会に残された磔木についた血液からクローンがつくられたらしい。処刑されたあと、イエス・キリストの遺体は火葬されたので復活することはなかったのだが、信者によるイエス・キリストのクローニングはふたたびなされるだろう。あるいは、また、このようなうわさもある。四条河原町で処刑されたイエス・キリストは、じつはホムンクルスだったというのだ。では、あの槍に突き刺されて流れ出た真っ赤な血はなんだったのか。ホムンクルスならば、銀白色の霊液をしたたらせたはず。しかし、そこには術師である幻覚者がいて、見物人たちに幻の真っ赤な血潮を見させたというのだ。強力な術師ならば、それも可能であったろう。いずれにせよ、あのイエス・キリストはオリジナルではなく、レプリカだったというのだ。レプリカであっても、クローンならば遺伝情報はオリジナルと変わらないはずだし、たとえホムンクルスであっても、大方の遺伝情報を復元しているはずであった。それにしても、あの四条河原町でのイエス・キリストの処刑というパフォーマンスには意味があったのだろうか。火葬しなければならなかった理由はわかるが、処刑自体のパフォーマンスに、いったいどのような意味があったのだろうか。戦争はまだつづいている。呪術の訓練をされた若者たちが、戦場にぞくぞくと送られている。街の様子もすっかり様変わりした。戦争一色である。老詩人は、ただ戦勝祈願するほかないのだけれど。
二〇一五年二月七日 「高倉 健」
そだ。きょう、烏丸御池の大垣書店に行って、びっくりしたことがあった。ユリイカの高倉 健の特集号が平積みだったのだけれど、明らかに売れているみたいで、もうあまり残っていなかった。ユリイカが売れることも稀だと思うが、いまさらに高倉健が? という思いがした。高倉 健なんて、いまさらだよね。
二〇一五年二月八日 「好き嫌いの超越」
さいきん、好きとか、好きじゃなくなるとか、そういうの超越してきているような気がする。付き合っている人間の数が少ないせいかもしれないけれど、なんか、付き合いって、好きとか、好きじゃないとかを超越している部分があって、それが大きくなると、人生がよりおもしろく見えると思えてきたのだ。
二〇一五年二月九日 「吸血怪獣 チュパカブラ」
まえに付き合ってた子が、いきなりのご訪問。相変わらずかわいらしい顔してて、でも、より太って、よりかわいらしくなってた。100キロくらいまでなら、かわいいかも。その子といっしょに、ギャオで、『吸血怪獣 チュパカブラ』というB級ホラーを見たのだけれど、ほんと、B級だった。怪物もB級だったけど、シナリオもB級だった。俳優たちも、シロートちゃう? って感じの演技で、ほんとにゲンナリ。血まみれゲロゲロの、そして、汚らしい映画だった。
二〇一五年二月十日 「ながく、あたたかい喩につかりながら(バファリン嬢の思い出とともに)」
あたたかい喩につかりながら
きょう一日の自分の生涯を振り返った。
喩が電灯の光に反射してきらきら輝いている
いい喩だった。
じつは、プラトンの洞窟のなかは光で満ちみちていて
まっしろな光が壁面で乱反射する
まぶしくて目を開けていられない洞窟だったのではないか。
洞窟から出ると一転して真っ暗闇で
こんどは目を開けていても、何も見えないという
両手で喩をすくって顔にぶっちゃけた。
何度もぶっちゃけて
喩のあたたかさを味わった。
miel blanc ミエル・ブラン 見える ぶらん
白い蜂蜜。
茣蓙、道標、熾火。
ギリシア哲学。
色を重ねると白になるというのは充溢を表している。
喩からあがると
喩ざめしないように
すばやく身体をふいて
まだ喩のあたたかさのあるあいだに
布団に入った。
喩のぬくもりが全身に休息をもたらした。
身体じゅうが、ぽっかぽかだった。
ラボナ、ロヒプノール、ワイパックス、ピーゼットシー、ハルシオン。
これらの精神安定剤をバリバリと噛み砕いて
水で喉の奥に流し込んだ。
ハルシオンは紫色だが、他の錠剤はすべて真っ白だ。
バファリン嬢も真っ白だった。
中学生から高校生のあいだに
何度か、ぼくは、こころが壊れて
バファリン嬢をガリガリと噛み砕いては
大量の錠剤の欠片を、水なしで
口のなかで唾液で溶かして飲み込んだ。
それから自分の左手首を先のとがった包丁で切ったのだった。
真・善・美は一体のものである。
ギリシア思想からフランス思想へと受け継がれた
美しくないと真ではないという想い。
これが命題として真であるならば
対偶の、真であるものは美である、もまた真であるということになる。
バラードの雲の彫刻が思い出される。
ここで白旗をあげる。
喩あたりしたのだろうか。
それとも、クスリが効いてきたのか
指の動きがぎこちなく、かつ、緩慢になってきた。
安易な喩に引っかかってしまったのだろうか。
その喩は、わたしを待ち構えていたのだ。
罠を張って、そこに待ち構えていたのだ。
わたしは、その場所だけは避けるべきだったのだ。
たとえ、どんなに遠回りになったとしても
どんなに長く道に迷うことになったとしても
その安易な喩だけは避けなければならなかったのだ。
だからこそ
わたしは、どこにも行き着けず
どの場所もわたしを見つけることができなかったのだ。
白は王党派で
赤は革命派。
白紙答案。
赤紙。
白いワイシャツ。
赤シャツ。
スペインのアンダルシア地方に
プエブロ・ブロンコ(白い村)と呼ばれる
白い壁の家々が建ち並ぶ町がある。
屋根の色だけはいろいろだったかな。
白い壁の家々は地中海に面したところにもあったような。
テラコッタ。
横たわるぼくの顔の上で
そこらじゅうに
喩がふらふらと浮かび漂っていた。
横たわる喩の上で
そこらじゅうに
ぼくの自我がふらふらと浮かび漂っていた。
無数の喩と
無数のぼくの自我との邂逅である。
目を巡らして見ていると
一つの喩が
ひらひらと、ひとりのぼくの目の前にすべりおりてきた。
ぼくは、布団から手を出して、
その喩を待ち受けた。
すると、その喩は
ぼくの指の先に触れるやいなや
ぼくのそばから離れていったのだ。
夢のなかでは
別の喩がぼくに襲いかかろうとして待ち構えているのがわかっていた。
裏切り者め。
ぼくは、危険を察して
喩のそばから、はばたき飛び去っていった。
二〇一五年二月十一日 「犬のうんこ」
飼ってる犬がうんこしたの。それ踏んづけて、うんこのにおいがして目が覚めた。夢にもにおいがあるんだね。
二〇一五年二月十二日 「自己愛」
FB フレンド の画像を見てたら、筋力トレーニングや顔パックしてらっしゃる画像が多い。自分自身に関心のつよいひとが多いのだな。それはすてきなことだと思っている。ぼく自身は、自分にあまり関心がなくて、と言うと、たいてい、びっくりされてしまう。ぼくの経験は詩の材料にしかすぎないのに。ぼくの経験以上に、ぼくが知っているものがないので、仕方なく自分の経験を詩の材料にしているだけなのである。もしも、ぼくが、自分自身の体験以上に知っていることがあれば、それを詩の材料にすると思う。自己愛が強いんですねと言われることがある。びっくりする。
二〇一五年二月十三日 「旧友」
ひさしぶりにオーデンの詩集を図書館で借りた。詩論を読んで、まっとうなひとだと再認識した。オーデンもゲイだったけれど、そのオーデンが、これまたゲイのA・E・ハウスマンについて書いているのも、おもしろかった。むかし、はじめてふたりの詩を読んだときは、ゲイだって知らなかったのだけれど。
あした、大谷良太くんちで、むかしの dionysos の同人たちとホーム・パーティー。いまの京都詩人会も、半分以上、dionysos のメンバーだし、長い付き合いなのだなって思う。偶然、啓文社で、ぼくが同人誌の dionysos の何号かを手にして、連絡をとったのが始まりだった。「Oracle」も「妃」も、1冊も手元にないのだけれど、「dionysos」と「分裂機械」と「薔薇窗」は、すべて手元にある。
二〇一五年二月十四日 「世界はうれしいのだ」
いま日知庵から帰った。かわいい男の子も、女の子も、世のなかにはいっぱいいて。そだ。それだけで、世界はうれしいのだ。きょうのお昼は、アポリネール、アンリ・ミショー、フランシス・ポンジュ、イヴ・ボヌフォワ、エリュアールの詩を読んでいた。アポリネールは、あなどれない。ぼくがフランス語ができたら熱中していただろうと思われる。
二〇一五年二月十五日 「彼女」
ペッタンコの彼女。ピッタンコの彼女。ペッタンコでピッタンコの彼女。ペッタンコだがピッタンコでない彼女。ペッタンコでないがピッタンコの彼女。ペッタンコでピッタンコの彼女。ペッタンコでもなくピッタンコでもない彼女。
ペラペラの彼女。パラパラの彼女。ペラペラでパラパラの彼女。ペラペラだがパラパラでない彼女。ペラペラでないがパラパラの彼女。ペラペラでパラパラの彼女。ペラペラでもなくパラパラでもない彼女。
ブラブラの彼女。バラバラの彼女。ブラブラでバラバラの彼女。ブラブラだがバラバラでない彼女。ブラブラでないがバラバラの彼女。ブラブラでバラバラの彼女。ブラブラでもなくバラバラでもない彼女。
コロコロの彼女。ボロボロの彼女。コロコロでボロボロの彼女。コロコロだがボロボロでない彼女。コロコロでないがボロボロの彼女。コロコロでボロボロの彼女。コロコロでもなくボロボロでもない彼女。
キラキラの彼女。ドロドロの彼女。キラキラでドロドロの彼女。キラキラだがドロドロでない彼女。キラキラでないがドロドロの彼女。キラキラでドロドロの彼女。キラキラでもなくドロドロでもない彼女。
スラスラの彼女。ポロポロの彼女。スラスラでポロポロの彼女。スラスラだがポロポロでない彼女。スラスラでないがポロポロの彼女。スラスラでポロポロの彼女。スラスラでもなくポロポロでもない彼女。
チンピラの彼女。キンピラの彼女。チンピラでキンピラの彼女。チンピラだがキンピラでない彼女。チンピラでないがキンピラの彼女。チンピラでキンピラの彼女。チンピラでもなくキンピラでもない彼女。
プルプルの彼女。ブルブルの彼女。プルプルでブルブルの彼女。プルプルだがブルブルでない彼女。プルプルでないがブルブルの彼女。プルプルでブルブルの彼女。プルプルでもなくブルブルでもない彼女。
チンチンの彼女。キンキンの彼女。チンチンでキンキンの彼女。チンチンだがキンキンでない彼女。チンチンでないがキンキンの彼女。チンチンでキンキンの彼女。チンチンでもなくキンキンでもない彼女。
ムラムラの彼女。ケチケチの彼女。ムラムラでケチケチの彼女。ムラムラだがケチケチでない彼女。ムラムラでないがケチケチの彼女。ムラムラでケチケチの彼女。ムラムラでもなくケチケチでもない彼女。
カチカチの彼女。ピキピキの彼女。カチカチでピキピキの彼女。カチカチだがピキピキでない彼女。カチカチでないがピキピキの彼女。カチカチでピキピキの彼女。カチカチでもなくピキピキでもない彼女。
二〇一五年二月十六日 「頭が割れる」
見ず知らずのひとのミクシィの日記を読むのが趣味のあつすけですが
いま読んだものに
「頭が割れそうなぐらいに痛い。」
て書いてあるのを見て
ふと
あれ
頭が割れてるひと
見たことないなって思って
あ
小学校の6年生のときに
思い切り
頭から血を流して
河原町でね
理由は忘れちゃったけど
弟とケンカして
頭突きしたら
弟がひょいとよけて
ぼくの頭が
映画館のポスターとか貼って
入れてある
スチールの大きなフレームにあたって
スパッ
と切れちゃって
弟は逃げちゃって
血まみれになったぼくを
見ず知らずの大学生のお兄ちゃんに
頭をタオルで押さえてもらって
祇園の家まで
連れて行ってもらったのだけれど
あ
これって
頭割れるのと
ちと違うか
違わないか
そうあるか
そうないか
わたしわからないことあるよ
ええと
これとはちゃうかなあ。
で
頭割れてるって
どこまで~?
ってことになりますわなあ。
どこまで~?
あ
で
頭が割れそうに痛いって
ぼくの場合
痛くなかったのね。
出血が激しくて
自分でびっくりして
気を失いかけてただけだから
ぜんぜん痛くなかったの。
あんまり頭って
ケガしても痛くないんだよねえ。
で
頭が割れそうに痛いって
これ
おかしくない?
まあ
割れ方によるのかな。
そいえば、関西弁には
「どたま、かち割ったるぞ!」という喧嘩言葉があったな。
めっちゃむずかしいと思うけどね。
二〇一五年二月十七日 「確定申告」
確定申告してきた。けさ、夢を見た。家族で旅行していて、朝の食事中に、急に立ち上がって、食事の席を立って部屋を出て行き、コンビニでお菓子を買おうとしていた。父親が心配して、後ろから肩に触れた。ぼくは、ごめんねとあやまって泣いていた。そこで目が覚めた。日知庵に行くと、藤村さんからチョコいただいた。えいちゃんがあずかってくれてたのだけれど、おいしいチョコだった。お返しに、詩集をプレゼントしよう。そう言ったら、えいちゃんに、「ただですますんか!」と言われたけれど、貧乏詩人だから、ただですまそうと思ってる、笑。人生うにゃうにゃでごじゃりまする。
二〇一五年二月十八日 「大谷良太『Collected Poems 2000-2009』」
大谷良太くんにいただいた『Collected Poems 2000-2009』を読んでる。もう15年以上の付き合いがあって、初期の詩から知っていたはずなのに、知らない感じのところが随所にあって、自分の感じ取る個所が違っていることに、自分で驚いている。大谷良太くんのもっている繊細さは、ぼくには欠落していて、でも、ぼくには欠落しているものだと、ぼくに教えてくれるくらいに、表現が強固なのだと思った。もちろん、表現は強固だが、詩句としては、詩語を排したわかりやすいものである。後半は散文詩が多い。大谷くんの現実の状況とだぶらせて読まざるを得ないのだけれど、そいえば、翻訳詩を読む場合も、詩人の情報をあらかじめ知って読む場合が多いことに気がついた。読み進めていくと、完全な創作なのだろうか、まるで外国文学を読んでるみたいだ。現実の大谷くんとだぶらない状況のものがあって、びっくりした。いや、びっくりすることはないのかもしれない。ぼくだって、現実の自分の状況ではない状況を作品に織り込むことがあるのだから。くくくく、と笑う男が主人公の散文詩の連作が、とりわけ印象的だった。自分より20年くらい若い詩人を、大人の書き手だなと思ったのは、たぶんはじめてだと思う。より広く読まれてほしいと思う数少ない書き手。
二〇一五年二月十九日 「ウンベルト・サバ詩集」
いま日知庵から帰った。ジュンク堂では、キリル・ボンフィリオリの『チャーリー・モルデカイ』1~4までと、ウンベルト・サバ詩集を買った。サバのこの詩集は買うのは2回目だけど、さいしょに買ったのは、荒木時彦くんにプレゼントしたので、手もとになかったもの。大谷良太くんの詩集を読んでて、ふつうに平易に使ってる言葉で書かれているものの詩のよさをあらためて知ったせいだろうかなって思う。サバの詩の翻訳も、日常に使う言葉で書かれてあって、大谷くんの詩との共通点があったためだと思う。やっぱり、詩は、詩語を使っちゃダメだと思う。いま書かれている詩のほとんどのものは、ぼくには、下品に思えちゃうんだよね。詩語を使えば、それなりに詩っぽくなるけど、あくまでも、それなりに詩っぽくなるだけで、ぼくには、詩には思えないものなんだよね。たぶん、ぼくの詩の定義は、めっちゃ広いものだけど、めっちゃ狭いものでもあって、たぶん、いま書かれているものの99%くらいのものは、ぼくには詩じゃなくって、詩のまねごとにしか思えなくって、でも、詩ってものを、ちゃんとわかってるひとは、1パーセントもいなくって、仕方ないのかもしれない。いい詩が書かれて、いい詩が残ればいいだけの話だけどね。
二〇一五年二月二十日 「詩論」
夕方に「詩論」について考えた。「詩」についての「論」とは、なにかと考えた。「詩とは何か?」と考えると、なにかと難渋してしまう。AはBであると断定することに留保条件が際限なく出現するからである。そこで、「何が詩か?」と考えることにした。論理的に言えば、「詩とは何か?」と「何が詩か?」というのは、同じ意味の問いかけではない。しかし、おそらくは断定不可能な言説について云々するほどの無能者でもないものならば、「何が詩か?」という問いかけについて思いをめぐらすことであろう。たとえば、何が詩か。ぼくの経験からすると、堀口大學の『月下の一群』に含まれているいくつかの作品は詩だ。シェイクスピアのいくつもの戯曲、ゲーテの『ファウスト』、ホイットマンの『草の葉』の多くの部分、ディキンスンのいくつかの作品、ジェイムズ・メリルのサンドーヴァーの光・三部作。これらはみな翻訳を通じて、ぼくに、詩とはこれだと教えてくれた作品たちである。書物の形で、紙に書かれた言葉を通して、詩とはこれだと教えてくれた作品たちである。エイミー・ローエルの『ライラック』を忘れていた。ハート・クレインの『橋』を忘れていた。パウンドの『ピサ詩篇』を忘れていた。エリオットの『荒地』を忘れていた。たくさんの詩人たちの作品を忘れていた。しかし、どれが詩だったのかは、思い出すことができる。詩ではないものを思い出すことは難しいが、詩だと思ったものが、だれのどの作品かは思い出すことができる。詩人の書くものがすべて詩とは限らない。イエイツの初期の作品は、ぼくにとっては、詩とは呼べないシロモノである。イエイツはお気に入りの詩人であるが、後期の作品のなかにだけすぐれた作品があり、しかもその数は10もない。すなわち、ぼくにとって、イエイツの作品で、詩であるものは、10作しかないということである。このことは別に不思議なことではないと思う。お気に入りの作家の作品で好きな作品がいくつかしかないのと同様に、お気に入りの詩人の作品に、詩だと思えるものが数えるほどしかないということである。例外は、ジェイムズ・メリルのように全篇を通じて霊感の行きわたったものだけだ。さて、「何が詩か?」という問いかけに対して、およそ3分の1くらいは答えたような気がする。書物の形で目にしたものについての話はここで終わる。「何が詩か?」書物以外のものを詩だと思ったことがある。小学生のときに見た『バーバレラ』という映画は、詩だった。山上たつひこの『ガキデカ』も、シリーズ全作品、ぼくには詩だった。この2つの作品のほかにも、詩だと感じた映画やマンガがある。そして、仕事帰りに目にした青年があまりに美しすぎて、すれ違ったあと涙が流れてとまらなかったときも、この瞬間は詩だと思ったのだ。と、ここで、ぼくは気がついたのであった。「何が詩か?」と考えたときに、ぼくの頭が思い浮かべた詩というものは、言葉によって作品化されたものだけではなかったのである。そして、その判断をしたものは、ぼくのこころだったことに。ここで、残り3分の2のうちの2分の1が終わった。残り3分の1に突入する。すなわち、「何が詩か?」と考えるのは、こころであったのだ。つまり「何が詩か?」という問いかけには、ただ「こころが何が詩であるかを決定するのだ」という答えしかないのである。ということは、と、ここで飛躍する。「何が詩か?」という問題は、「何がこころか?」という問題に帰着するということである。「何がこころか?」は、「何が意識か?」に通じるものであろうが、「こころ」と「意識」とでは、違いがあるような気がするが、というのも、意識を失っている状態でも、こころがあるような気がするからである。しかし、「何が詩か?」という問題は、「何が意識か?」に通じるものであるということは理解されるだろう。以上の考察からわかったことは、詩の問題とは、こころの問題であり、意識の問題である、ということである。詩論は、心理学や生理学上の問題として扱われるべきである。これまでに、ぼくが目にした詩論の多くのものが、歴史的な経緯を述べたものや、特定の詩人や、詩人の作品を扱ったもので、とくに、心理学や生理学の分野から扱ったものではなかった。これからは、詩論とは、心理学や生理学の分野の研究者が考察すべきものであるような気がする。
二〇一五年二月二十一日 「言語の性質を調べる実験」
2014年の7月に文学極道に投稿した実験詩『受粉。』では、言語の性質について調べました。ぼくの実験詩では(もちろん、全行引用詩も、●詩も、サンドイッチ詩も、実験詩だったのです。)言語の性質を調べています。だれも言ってくれませんが、そういう詩の日本でさいしょの制作者だと思っています。実験詩には、「順列 並べ替え詩。3×2×1」や「百行詩。」も入ると思いますが、これらが、将来、日本の詩のアンソロジーに入ることはないでしょうね。いまの日本の詩壇の状況では、ぼくの先鋭的な作品は、いまと同じように無視されたまま終わるような気がします。遅れています。これは、まだ、だれも書いてくれたことがないことなのだが、ぼくの「全行引用詩」や「順列 並べ替え詩。3×2×1」などは、作品の生成過程そのものを作品として提出していると思うのだけれど、そういう詩というのは、これまでになかったもののような気がするのだけれど、単なる思い過ごしだろうか。もちろん、たしかに、構造がまったく異なりますから、生成過程も異なりますね。「順列 並べ替え詩。3×2×1」は、組み換えの列挙を通じて、一行ごとの異なる相から作品のブロックが生成する新たな相を形成して見せたのに対して、「全行引用詩」のほうは凝集の偶然というものを通して、作品の構造を露わにして、その生成過程を作品そのものにしていました。どちらの偶然性も無意識領域の自我が大いに関与していると思います。ちなみに、言葉の並べ替えのヒントは、ラブレーのつぎのような言葉でした。ちょっと違っているかもしれませんが。「驢馬がいちじくを食べるのなら、いちじくが驢馬を食べちゃってもいいじゃないか。」これって、もしかすると、ロートレアモンだったかもしれません。そこに、数学者のヤコービの言葉が重なったのでしょう。あるとき、ヤコービがインタビューで、なぜあなたが数学で成功したのかと訊かれて、こう答えたというのです。「逆にすること。」
二〇一五年二月二十二日 「歌留多取り」
ぼくの詩論詩・集ですが、阿部裕一さんから
まるでトマス・ハリスのハンニバル・レクターが
書いたものみたいだと言われました。
ほめ言葉として受け取りました。笑
亡き父と二人つきりの歌留多取り われが取らねば父も取らず
いまつくった短歌です。
加藤治郎さんの「加藤治郎☆パラダイス短歌」に投稿しました。
以前にも一首、投稿したことがありますが
およそ半年ぶりの短歌づくりです。
ちなみに半年前に投稿した短歌は
月もひとり ぼくもひとり みんなひとり スーパーマンも スパイダーマンも
でした。これは、10年ぶりの短歌でした。
二〇一五年二月二十三日 「人間市場」
SFマニアの方に、お尋ねしたいことがあります。
むかし読んだSFで、人間市場があって
その市場で売られている美男美女たちは
ただ殺されるためだけに売られているという
そんな設定のSFを読んだことがありました。
残念なことに中学生のときくらいのことで
タイトルを忘れてしまいましたが……
最初のシーンは
ある男が自分の生まれた島にもどるところで
船の中で、眠っている間に
心臓を魔術でぎゅっと握られるという
苦悶のシーンからはじまるものだったと思うのですが
父親の持っていたSFだったと思うのですが
死んだ父親の蔵書に、それがなくて
何度かSFマニアの方に尋ねたことがあるのですが
もし、ご存じの方がいらっしゃったら
ぜひぜひお教えくださいませ。
シリーズものの外伝といいますか
そういった作品であったと思います。
二〇一五年二月二十四日 「浮橋」
きょうは、京都駅のホテル・グランビアにある、
『浮橋』という日本料理屋で、ある方と食事をしていて、
従業員の失礼な態度にあきれました。
まあ、予約をせずに行ったこちらもよろしくないのかもしれないけれど
テーブル席についてコースを頼んだところ
一時間半しかいられませんが、というので、それで結構ですよと言ったのだが
それほど時間もしないうちに
従業員が執拗に何度もやってきて
料理の途中で
まだ皿に料理が残っているのに
下げてよろしいですかと嫌がらせのようなことをして
さんざんだった。
ただ料理はおいしかったことは認めるが
従業員をあんなふうに指導している店の接客態度には
いっしょにお食事をしていた方とも
「なんなんでしょうね、これは。」と話をした。
ぼくと違って
その方は、そういうところでよく食事をされると思うので
きのう
『浮橋』という店は
ぜったいに損をしたと思う。
まあ、いくら上等の料理を出しても
あんな接客態度では、よい噂は流れないと思う。
そういえば
グランビアには
吉兆もあった。
二〇一五年二月二十五日 「ジュンちゃん」
いま日知庵から帰った。帰りに、阪急西院駅で、ジュンちゃんに出合う。何年振りだろう。「46才になりました。オッサンです。」と言うのだけれど、ぼくには、やっぱり、19才のときのジュンちゃんが目に残っていて、面影を重ねて見ていた。ずっと京都に住んでいると、付き合った子と出合うこともたまにあって、いろいろ話がしたいなあと思うのだけれど、思ったのだけれど、バスが来てしまって、「また会ったら話をしよう。」と、ぼくが言うと、笑ってうなずいてバスに乗っていった。声は19才のときから太くて(からだもガチデブだっけど)、いまだに魅力的だった。いまだにガチデブで、おいしそうだった、笑。ぼくが文学なんてものやってるからかな、めんどくさくなったのかな。ぼくも27才だったし、詩を書きはじめて間もなくだった。下鴨のマンションにいたとき、土曜日になると、かならず、ピンポンって鳴ってたのに、いつの間に鳴らなくなったんだろう。ああ、27年前の話だ。うん? 28才か。そだ。1年ずれてる。ぼくが詩を書きはじめたのは、28才のときか。ジュンちゃんは19才だった。身長がぼくよりちょこっと高くって、180センチはあったのかな。ぼくも178センチあるから、しかもデブとデブだったので、レストランに行っても、どこ行っても、目立ってたと思う。こんど出会ったら、「ちょっと一杯のまへんか?」と言って誘ってみよう。きょうは、ぼくがベロベロだったから、誘えなかった。残念。
二〇一五年二月二十六日 「配管工の夢」
どこにもつながらない
って書けば詩的だろうけどさ
つながってるかどうかなんて
そんなことはどうでもいいのさ
ただパイプをくねくねくねくね
いっぱい部屋のなかにつくって
くねくねくねくねパイプだらけの部屋をつくるのが
おれっち
配管工の夢なのさ
廊下も階段も地下室も屋上もくねくねくねくね
いっぱいパイプをくねらせて
パイプだけで充満させたビルをつくるのが
おれっち
配管工の夢なのさ
おいらのオツムもおんなじさ
からっぽが
ぎっしりつまってるのさ
二〇一五年二月二十七日 「とかとかとか」
お昼に西院の駅の前で、
額に血を縦一文字にべったりとつけたお兄さんがいて、
野菜を売っていた。
まだ30代やと思う。
小太りの背の低い浅黒い顔のお兄さん。
ちょっと、その血をどうかしてよ
と思うぐらいに
はっきりと
べっとりと
額に血がついてて
ちょっと怖くて
ちょっと心配しちゃった。
それに
だれがそんなひとから野菜を買うのかしら
とかとか思ったのだけれど
日曜日には
血はついてなくって
ほっとした。
あんなにどうどうと血を額につけたままいられると
自転車で前を通っただけのぼくだけれど
心配しちゃうんだね。
真夏のように暑かった
日差しの強い土曜日とか日曜日。
駅の喧騒。
人・人・人。
「とか」という言葉がすっごい好き。
駅とか
人とか
とかとかとか。
二〇一五年二月二十八日 「いっぱい」
あいている手紙いっぱい。
あいている手がいっぱい
ああ いてる 手紙 いっぱい
ああ いてる 手が いっぱい
ああしてる 手紙 いっぱい
ああしてる 手が いっぱい
愛してる 手紙 いっぱい
愛してる 手が いっぱい
あいている 手紙 いっぱい
あいている 手が いっぱい
二〇一五年二月二十九日 「かわいそう」
マイミクのいもくんが
以前くれた
ぼくの日記を読んでの感想
「なんで?」
「コメントほとんどないやん。」
まあね。
べつになくってもいいんだけどね、笑
ひとりごとのつもりだから
そういえば
ぼくは
自分の詩集に対する手紙や葉書もぜんぶ捨ててるし
卒業アルバムもぜんぶ捨ててる
いま
部屋にある本も
SFだけど
表紙に愛着のあるものを除いてだけど
勤め先の図書館に寄贈している
ほんとに必要な本って
そんなにないのかもしれない
いや
いま思ったのだけど
1冊もないかも
「えっ? 30才?」
「うん。」
「童顔なんやね。」
ときどきぼくの顔を見る
ぼくはずっと彼の顔を見てる
「まだ20才くらいにしか見えへん。」
苦笑いしてた
エイジくんに似ていた
「なにしてたの?」
「指、入れてた。」
「何本?」
「1本。」
「ふうん。」
少しして
ぼくはいなくて
こんどは本物
「あってもなくてもいいんだけど。」
パラメーターは
複雑なきりん
かな
テイク・アウト
i don't wannna go there
ごめんなさい
そして
記憶はサテンのモーニング
ふたりで
かな
とか
ふたりしかいないから
かな
とかとか
「理想的な感じだから
なんだか恥ずかしくって。」
恋人がぼくを捨てた理由もわかんないし
ぼくが恋人を捨てた理由もわかんない
それほど深刻でもなかったと思う
笑けるね
笑っちゃえ
アハッ
って
かな
あさって
かな
こんどは本物
かな
って
でもね
「なにもかもが
期待はずれ。」
って
ふほほ
だからね
教えてあげる
時間と場所と出来事がすべてだって
西院の王将でご飯を食べてたら
隣の隣に
高校時代のクラスメートが坐っていることに気がついた
高校時代にはカッコよかったのにね
時間って残酷
あこがれてたのになあ
どの指って
きくの忘れてた
ばかだなあ
細部の事実がうつくしいのに
細部が事実だとうつくしいのに
ちょっと待って
って
時間には言えないし
立ち戻ることもできない
できやしない
「格闘技やってそう。」
「やってたで。」
「なに?」
「柔道。」
エイジくんも柔道してた
ぼくは
自分が柔道してたことは言わなかった
どうして言わなかったのだろう
むかしのことだもの
こたえは
わかりきってる
おもっきりむちゃな
恋のフーリガン
いや
恋はフーリガン
きみのかけら
指のかけら
あちこちに撒き散らして
それだって
厭きのこない顔だから
what?
すぐにこわれるから
こわれもの
いつまでもこわれない
こわれものって、なに?
こんどは本物
かな
いきなり?
そうさ
そうじゃないことなんて
一度だってなかったじゃない
いつだって
そうさ
二〇一五年二月三十日 「さいしょから部屋に行けばよかった。」
彼は27才だった
彼の彼女は39才だった
ぼくは49才だった
ひどいねえ
ぼくがノブユキと付き合ってたのは
ぼくが28で
ノブチンが21
はじめ20だって言ってたんだけど
1つ少なめに言ってたんだって
3年浪人して
日本の大学には進学できなかったからって
シアトルの大学に入って
「バイバイ!」
って言うと
へんな顔した
「バイバイって言われて
こわかった。」
どうして?
あ
ノブチンじゃなくって
彼なんだけど
「彼女と会う気がなくなってきた。」
って言うから
「会わなきゃいけないよ。」
って、ぼくが言って
へんな感じだった
「さいしょから部屋に行けばよかった。」
「またいつでもこれるやん。」
「彼女と会う気がなくなってきた。」
「疑われるからって
携帯にぼくの電話番号、書き込まなかったくせに。」
苦笑い
そういえば
なんで、みんな苦笑いするんやろう?
彼は27才
彼の彼女は39才
数字が大事
「もう好きって感じやない。
いや
好きなんやけど
恋人って感じやない。
うううん
思い出かな。」
同じこと言われたぞ
エイジくんに
「エイちゃんて呼ぼうかな?」
って言うと
「おれのこと
エイちゃんて呼んでええのは
高校時代に付き合うとった彼女だけや。」
クソ生意気なやつ、笑。
それにしても彼女のいる子って多いなあ
バカみたい
だれが?
もちろん
ぼくが
いつだって
踏んだり
蹴ったり
さんざんな目にあって
それでも
最終的には
詩にして
自分を笑ってる
最低なやつなんだから
ぼくは
思い出は
いつだって
たくさん
もっとたくさん
もうたくさん
チュッチュルー
ルー
二〇一五年二月三十一日 「光と熱」
そうだ
言葉と出合って
そんな感情が自分のなかにあることに
そんな気持ちの感情が自分のこころのなかに存在することに気がつくことがある
映画を見て
そう思うこともある
通勤電車に乗っていて
向かいに坐った男のひとの様子を見ていて
このひとはわたしに似ていると思った
女性ではどうだろうかと思って
目をつむって眠っている女性を見つめた
このひとも
ぼくに似ていると思った
ここで
彼はわたしだ
あの女はわたしだ
って書けば
ジュネが書いてたことの盗作になるのだけれど
で
ジュネはそこでまた
書くと言う行為について疑問を持ったんじゃなかったっけ
持ったと思うんだけど
ぼくは別に
そんなことは思わなかったし
彼はわたしだ
とか
彼女はわたしだ
なんてことも思わなかったのだけれど
いや
ちらっと思ったかな
ジュネの文章を
むかし読んでたしぃ
でも
おそらく
そのときは
ただ単純に
みんながぼくに似ていることに気がついて
笑ってしまったのだった
声に出して笑ったのじゃなくて
またすぐにその笑顔は引っ込めたのだけれど
だって
ひとりで笑ってるオッサンって不気味じゃん
みんながぼくに似ている
ときどき
ぼくがだれに似ているのか
そんなことは考えたこともないのだけれど
まあ
ぼくもだれかに似ているのだろう
おそらくぼく以外のみんなが
どことなくぼくに似ているのだろうし
ぼくもぼく以外のみんなに似ているのだろう
ときどき ぼくは ぼくになる
と書けば嘘になるかな
リズムもいいし
かっこいいフレーズだけど
で
人間だけじゃなくて
たとえば
スプーンだとか
はさみだとか
胡椒の粉だとか
練り歯磨き粉だとか
そんなものも
ぼくに似ているような気がするんだけど
ぼくも
いろんなものに似ているんだろうな
橋や
あほうどりや
机や
カバンや
木工用ボンドとか
いろんなものに
もともとぼくらはみんな星の欠片だったんだし
チッ
光と熱だ
でも
そのまえは?