宝石
道草次郎
『ぼくが電話をかけている場所』というレイモンド・カーヴァーの小説を久しぶりに読んだ。ありきたりな言い方だけど、とても感動した。アルコール中毒療養所に集まった人たちの話で、そこにはこれといった善人も悪人も出てこない。
ドストエフスキーよりもチェーホフがいいと、誰かがラジオで言っていたのを思い出す。小説なんてあまり読んだことがないけれど、カーヴァーだけは少し特別な存在だ。
じつは、人生の至るところに小さな宝石は散らばっている。その宝石の一つが、たまたま今日はカーヴァーの短編小説だったというわけ。本があることはうれしい。ぼくの部屋にはたぶん千冊を越える紙の本が無造作に積まれているが、今、輝きを放っているのはほんの数冊だけ。でもそれだけで十分なのだ。
誰もがみな自分の小さな宝石のことを愛している。さっきのぼくがちょうど『ぼくが電話をかけている場所』を愛したように。そのことを今は微笑ましく思えるし愛おしくさえ感じられる。
本を読み終えたあなたはそっと瞼をとじる。何者にも邪魔されないゆたかな時間がそこにはある。それから、キッチンへ行って誰かのために美味しい紅茶でも淹れようかな、そんなことを考えるひとときも。
本があることはやはりうれしい。