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人は海っつうのにとかく救いや許しを求めるようだ。
でかく許容がありそうであり、たちうちのできない自然の強大さであり、全て
を包みこむ水の柔軟があり、青であり、蒼である。生命のスープであり、種の
起源であり、夕陽が沈む場所であり、「ねぇ、海が見たいの・・・」である。い
や実際すごいですよ、海は。こんなひねくれ者で、ふざけてるけどシャイで力
持ちでカレーが好きなMonkさんでも海を目の前にすると、ちょっとかなわん
なーと思いますから。
この「潮騒の丘」も海のパワーを語っている。静かだが力強く語っている。海
の強大さや起源として辿り着く場所としての海を。何もかも包み込み洗い流す
海を。だが、しかし!
>何も癒さぬ何も救えぬ
>この海は救わない
救ってくれませんよ、海。話が違う。なんだよケチ!じゃなくて厳しい。お
前はこの場所に救いを求めて来たのかも知れないが、俺がお前を救うことはな
いよ、と。そうおっしゃるのは海自身ではなく作品を語る話者なのだが、この
話者は誰だ。まさしく今、海原に直面している自分が自分自身へ語る自戒のよ
うでもあるし、過去に海に救いを求めた先駆者からの伝言のようでもある。ど
ちらにしろこの話者も海に救いを求めたのではないか。一度は救いを求めたの
ではないか。
海は「救ってくれない」のではなくて、「救えぬ」のである。海は能動的な生
き物ではない。全てのものは海から生まれ、海に還るのかもしれないが、生ま
れて立ち上がり丘に上がるのはその人自身の足であり、還るために海にたどり
着くまでの旅路を辿るのもまた同じく彼自身の足だ。
なんだかごもっともなことを言われてしまい、ちぇっと舌打ちの一つもしたい
が、納得してしまうところがつまりは「ちょっとかなわんなー」という海のす
ごいところだ。重い足取りで海くんだりまで救いを求めてやってきたのに、
けっきょく自分で立ち上がれと言われてるのでヘコんでるときにはきついのだ
が、それでもまぁなんとか立ち直るかというパワーをもらえるところは海のす
ごいところだ。
この作品の最後ももう一回がんばれと言ってますな。この終わり方はいいね。
言ってることがはっきりしてて。でもがんばれねーよなぁとか迷いがなくて。
がんばれなくてくじける話書き出すと作品がへんてこになっちゃうからな。
実際、この字面だけ読んでてもそんなにパワーをもらえるもんでもない。そこ
まですごくない。なのでこれを印刷した紙をくしゃくしゃと丸めてポケットに
つっこんで電車とバスに乗って一人で海に出かけて誰もいなさそうな時間帯を
選んで砂浜でざざーんざざーんとサラウンドされながらしわくちゃの字面で
「この海は救わない」って改めて読んでみるとパワーもらえそうな気がする。
もちろんそれは、そこまで歩き手間をかけたあなた自身のパワーでもある。