【批評ギルド】『重力と火』六崎杏介
Monk



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「わかんね」と書いた時点で負けだ。負けん、負けんぞ、「負けないもんっ」
(出来るだけカワイイ声を想像すること)。というわけで読み手としては負け
てはいかんのであり、そういう作品だ。勝負を挑まれているのだよ。勝つとか
負けるとかそういう詩の読み方はイヤですというのは、それはそれで良い。イ
ヤなもんはイヤだもんな。全ての詩を等しく許容していく必要はまったくない。

僕は詩のことはよくわからないまま死んでゆく人だが、こういう文章は詩だか
ら成り立つものなんじゃないのか。小説でこれはないだろう。怒るだろう。こ
の作品は文章というか既に現象みたいなものだが、文章で文章じゃないものを
読めるのは奇妙であり、詩は奇妙だなってことだ。この奇妙なものがもしなく
なってしまったら大変もったいない。なくなったら困ると思う。素晴らしいの
でなくなったら困るわけではないが、なくなったら替えがないから困るという
ことだ。

さて、どうやったら負けないかだが、作品の総体として読qあwせ
drftgyふじこlp、とかそういうことではないから。対抗の仕方が間
違ってるから。
この作品を僕はかじって楽しむ。かじる。で、「ああ、ここうまいな」とか
「このへんグッとくるな」とつぶやいて楽しむ。このへん、てのがポイントだ。
部分部分をかじって楽しむ。裸符ぶる雨とかランダムででたらめな音階の雨っ
ぽくていいよね、と楽しむ。わからんところは縁がなかったとして諦める。六
崎さんの他の作品にもこういうギミックにあふれたものが多いのでいろいろ読
んで楽しむ。で、みんな読んだ印象がバラバラになっていく。発想の傾向とい
うのがみんなバラバラなので当て字からの印象もバラバラになっていく。僕は
数学が好きなので、不逢いの夜なんてφ(ファイ)=仕事量、逢えない夜に行
き場を失った情熱量は保存の法則によってどこかに働きかけていく、と読む。
そんな深読みしてどうすんだよと言われるかもしれないが余計なお世話だ。僕
はそれで楽しめているからちゃんと「楽しい」を得ている。あなたはあなたの
「楽しい」を探せ。全ての詩に全員が等しい喜びを見つける必要もまったくな
い。

まぁでもひどく個人的な作品であって、詩というのは個人的なもののほうが僕
はおもしろいと思う。受け取るほうにとっても個人的なものであり、いったん
共有されるのだがそれはひどく抽象化された部分のみで、おいしいところは再
度それぞれの受信者が個人的な変換フィルタを通して保存される。だからおも
しろさをそう簡単には共有できない。もっと言えば共有しなくて済む。楽だ、
楽だね、批評書かなければ楽だよまったく。でもそんなことばっかり言ってる
とひねくれ者と思われてしまうので注意だ。



散文(批評随筆小説等) 【批評ギルド】『重力と火』六崎杏介 Copyright Monk 2005-03-30 22:39:02
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