ありえない名前
黒田康之

昨日美という女がいた
小柄でどうしようもなく泣きそうな顔をした女だった
うつむくと
細いまっすぐな鼻筋があって
ベクトル
時間軸とは関係もなく
電車の床に延びてゆく明日
昨日美はイチゴが好きで
練乳をいっぱいかけて
三つだけはそのまま
あとはスプーンでつぶして食べる
昨日美は玉子焼きが好きで
お弁当には欠かせないと
毎日頬ばる
昨日美の家の玉子焼きはいつもバターの香りがして
しかも冷たい
サラダ菜の上に乗せられたそれを
昨日美は
やはり泣きそうな顔で食べた
いつだったか昨日美が家に遊びに来たときのこと
たまたま食事が水炊きで
冷蔵庫でイカ刺しを発見した昨日美は
突然 それでしゃぶしゃぶをはじめた
一枚ずつお湯に泳がせて だんだん白くなるイカは
昨日美の指によく似合って
昨日美は小さな口で上手に食べた
ベクトル
指の先は僕に向いて
それはとっても虚の方向への標だった
昨日美と僕は今はまったく関係がない
ただ 泣き顔のままで生きていた女は
昨日美という名前を抱えて
僕とおんなじ街に生きてる



自由詩 ありえない名前 Copyright 黒田康之 2005-03-26 15:49:20
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