自分詩またはわたく詩
腰国改修
何と向き合って詩を書くべきか?〇〇べきか?なんて、本当は堅苦しくて書きたくはなかったけど書きましたよ、はい。
早速何と向き合うか。それは世界とか世間とか自然とか地球とか宇宙ではないでしょうか?間違っても自分と向き合うなんて。二の次にしてもいいんじゃないかなと思う。自分の生活と向き合う、これはいい感じがする(感じってなんやねん)。
自分と向きあう自分大好きなナルシストさんは別として、普通は自分と向き合うと内向的というか内省的な詩を書くことになる。読む人は、『ふーん』とか、『そうなんだあ』たまに、『うんうん分かる分かる』もあるのかな、ま、そんな感じ。
しかし、何だかんだ言いながら、自分と向き合ったり、見つめ直したりの自分詩は書いてしまう。何を書くのも自由だ。ただ、やはり詩も文章の一つ、文芸の一つなら自分は書き手であり、発表するからには読み手も必ず存在するということを忘れてはいけないなあと私は思う。
さらに、私は、出来るだけ醜い自分そのものとは向き合わないようにしているが、何かの拍子についつい、ね、ハハハ。さあ、では、世界と向き合って外向きな明るい詩を書くぞ!って、ほんまかい!この文章そのものが、何だか怪しくはないだろうか。
【らどみさんへの返信】
お読み頂きありがとうございます。
確かに読み手の問題は問題だと思います。読み手のいない創作物は日記?もっと言うと存在しないのと同じ?ただ、こうも言えるかなあと思うのは、書き手である自分自身が読み手である、と。で、そのまま発表してしまうとやはり自己陶酔や自己中心的なものとして輝きを放ってしまうのではないかなあとも考えます。難しいけど面白い問題であると思います。