井戸のふた
為平 澪
雨天が続き狭い古井戸に 水嵩が増す。
私の仕事は、モノクロの写真を陽に透かして、セピア色
に変色させたあと、井戸に沈める仕事だ。夜に、井戸の
ふたを開ける。白い私が発光して浮かんでくる。黒い私
は未成熟だと、発酵して沈められる。井戸は、私と私に
境界線を引き、浮かべる者と、沈めるモノを、水圧で推
し量る。
長雨は続き、人は何かが雨を降らせているのではないか、
と噂したが、井戸は変わらず水量を増やし続けた。
夜、井戸のふたを開けると、沈めたはずの写真が、こぼ
れ落ちていた。恐る恐るその一枚を手にすると、私はこ
の仕事を辞めたいと、井戸に訴えた。それでも井戸は黙
ったまま、来る日も来る日も、浮かべる私と沈める私を、
選別して、沈黙を続ける。
(雨は 上がらない
(私も 浮かばれない
(何の 雨かもわからない
古井戸には私しか、棲まない。けれど、どうやっても雨
は止まないので、飽和した井戸は決壊した。古井戸の底
から大きなモノクロ写真が二枚吐き出される。庭に井戸
の家と、その水をおいしそうに飲む藁葺き屋の大家族。
(井戸はなぜ沈めていたのだろう、黙っていたのだろう
写し出された二枚の写真が鮮やかな輪郭を保ち、幼い私
が不思議そうに、こちらを振り返っている。
井戸は最後の仕事を終えたように大きな口を開けると、
雨の降らない空を見上げては、笑うように干上がった。