忘れ去るために
こたきひろし

鈴木くんは水槽の酸素装置切ったまま入れるのを忘れた。飼っていた熱帯魚が全滅した、と午前十時の休憩時間に話し出したのには驚いた。本来はけしてしてはいけないミスだから、人前では話さない方が無難なのに何の躊躇いも見せる様子もなかったからだ。
現実はもう何年も前の話だが、それはまるで釣り好きが投げた糸の先の針みたいに俺の心に未だに引っ掛かっているままだ。
鈴木くんは当時四十代半ばだったが十歳位は若く見えていた。人当たりが柔らかく饒舌だったから男女を問わずに人気があった。ちゃんと結婚していたが子どもはいなかった。そのせいか独身のような空気があって見た目も上々だった。
中途採用されて俺より遅く入ってきたが、俺とは同じ職場の同僚だった。けれど俺の方は運悪く三年前にリストラにあってそこを辞めてしまったからしばらくは音信が途絶えていたのに、昨夜遅く突然に彼の名前が俺のLINEに表れたのには吃驚した。鈴木くんはずっとガラケーだったし、それも通話専用にしてあったからだ。
俺はそれで何のこだわりもなくLINEで接触を試みた。すると相手から返信があった。
それでお互いの近況報告を重ねた。
驚いたことに鈴木くんは現在仕事を辞めて無職との事だった。そして間もなくこの街を出て他県に引っ越すとの事だった。奥さんの実家に転居するというのだ。仕事はそれから探すと書かれていた。
そう言えば奥さんのお母さんとの関係はどうなったんだろうか。
鈴木くんはずっと前に自慢話をするみたいに、義理の母親と肉体関係を持ってしまったと言っていた。
それは人として道を外した行為なのに悪びれる様子もなく周囲にあっけらかんと暴露していた。
俺には到底出来ない真似だが、その自由奔放さを心の底で羨む自分がいた事を否定できない。
それだけにとどまらずに奥さんの妹も頂いていたと言う告白には羨望以外何も感じなかった。
俺はそんな鈴木くんが好きで仕方なかった。
人間の道徳も倫理も持ち合わせていないかもしれない鈴木くんだが俺は無性に彼が好きだった。
そんな俺の人間性にも若干の問題を抱えているのは否めなかったが。
人間は欲望に素直に従える能力と知性を備えているなら、それに素直に従うべきだと思うんだよ。


自由詩 忘れ去るために Copyright こたきひろし 2018-06-03 07:29:04
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