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垣間覗き見したチャットの話し方が印象的で、この人を注目する様になっ
たというのが私のこの批評の直接の動機だが。私のこんな考え方を、どうか
と思われる向きも居るかも知れない。
詩は自己表現の(直接的な)手段では無い、詩は作者とは別の存在である、
そんな事は百も承知。だがこの言い方は詩の側面の半分しか言い当てていな
いと私は思う。詩人が自分で信じても居ないものを真摯に書く筈は無いし、
その詩人がひとりの人間として強く立とうとする土台が無ければ、文章上の
どんな表現技法も世界知識も全て薄っぺらぁな飾りにしかならない。
何を書けば詩になるか、という定義は無い。ギリシャとかお鍋とかレンア
イといったテーマや、タームの問題では無いという事だ。どう書くかによっ
て詩になるかならないかは決まる、と私は思っている。
さて、坂田犬一さん。
この人には「さようなら!」をヘンに連呼し続ける『内緒のオマジナイ』
とか、『世界なんて本当は子供の口真似のバイクの音みたいなもの』とか、
「そして」売りの『不思議の町の 宮一 五郎さん』といった大傑作が他にあ
るのだが。
ポイントが割と入っていなくて、比較的近作で、かつ自分の好みに合う作
品をとログを遡上したら、これに行き着いた。最初に選んだ『十三月を待つ
子供達の歌』が未詩で批評出来なかった、のは小職スレッドに書いた通り。
『I氏の走り書き』は、この人の普段の作風からは、かなり異質な印象を受
ける。まず暗い。とにかく暗い。(汗)前に上げた作品にある明朗な爽やか
さも、時にシニカルさすら滲むサービス精神も無い。
話者と作者も、表題の「I氏」でかろうじてセパレートされているだけだ。
いや、セパレートできる冷静さが作者にあったから詩として成立し得たのだ
ろうが、それにしたって何とも際どい。
#独りで雨音に包まれるのは、昔から苦手。
#世界は緋い色。
#雨音は本当に首を締め付けてくるのだ。
#本気で書いている。
#試しに目を閉じてみたら、とんでもない気分になる。
#世界から逃げ出せるなら、それでいい。
#先日、友人が、余裕があったら俺も消して、と言っていたのが不意に浮かぶ。
#消してあげられたら良かった。
#僕も消してもらえば良かった。
(『I氏の走り書き』第2連)
「首を締め付けてくるのだ」の「のだ」など、ぽろっと書いてしまった感じ
がする。こうした語尾に込める様な感情の過剰さは、普段は詩としてはそぎ
落として然るべき部分だろう。脅迫観念による、話者の心理的な余裕の無さ
の表現と言われればそうかも知れないが。「本気で書いている」に至っては、
それ書いたら反則だろと言いたくなる。読者にすれば引かせられる表現だ。
それほどにこの詩には、構えや修辞という意識が希薄だと思える。
だがこの不注意さが、この詩にあっては逆説的に、作者の感受性への信頼
感へと、かすかに繋がっていく。
#指輪の数を四つに増やした。
#束縛するものが欲しいのかもしれないと思っている。
#そのくせ、寝るときには全てを外してしまう。
#指輪も腕輪も。
#どんな精神の表出なのかは分からないが。
#身を委ねることは当分出来そうに無い。
#仕方が無い。
(同 第5連)
自分が気に入ったのは、この第五連だ。何の前置きも無しに指輪の話。普
通の文章なら誉められる展開ではない。最後のコーヒー云々ともども「訳が
分からない」で処理される処かも知れない。
だが、本当に分からないだろうか? ある意味で直接極まるこの表現を、
可能な限り皮膚に再現してみるといい。
文字通り膚接するリング(意味ありげな環のイメージが、この詩全体の彫
りを微か深くもする)の硬さ冷たさの拘束感に逆に慰められ、そのくせ眠る
時には煩わされるのを嫌う、ひたすら自分中心の話。不安の実体は分かりも
しないし、かと言って自分の衝動に身を委ねる程の勇気もない。それほどま
でに、この詩の話者の心理は内向している。
私が気になるのは、これほど他者をスポイルして見える詩が、逆にいくば
くかの読者の共感を勝ち得たという点だ。
本来は話者自身にしか必然性の無いような、内面の話。それをさしたる理
由も無しに詩にしてしまった。不注意と言えば不注意だが、その不注意さこ
そが、却ってこの詩を全体的な盲目から救ったのではないか、と私は思う。
屁理屈や建前で思考を引っ張り廻す醜悪さからは、詩は決して生まれて来
ない。自分が感じた世界に対しての忠実を保ち続ける愚直さが在ってこそ、
はじめて詩は成り立つ。
成功作にはならなかったが、坂田犬一という感受性が、こうした詩に殉じ
たという事実を私は注視したい。この作品は、詩人がまず何に対して忠実で
なければならないか、その良い見本だと思う。
自分に向かってひたすら降りてゆく事で、逆に他者へ相い通じる回路を見
い出す…その僅かな可能性に賭けられるかどうかが、その人が詩人かそうで
無いかを分ける境目だ。
詩人である事自体は、世間的には決して救いのある事では無いのだが。
表現技法の面では、分かり易い単語でサッパリと仕上げ。短めの行と有る
か無きかの脚韻で、独特の自律的なリズムを作り出している。
但しこの辺の技巧は、無意識に繰り出されたものだ。その程度に留めなけ
れば、こういった詩では逆にウザい。
この詩人はもっと自分に忠実でいて良い。もっと出来の悪い詩もあってい
い。読者にとっての口当たりの良さとか、ありきたりな社会通念とか、そう
したもので自分を曲げる必要は無い。予想出来る様な前置きや説明なんか省
略して、いきなり本題に入ってどんどんデタラメに世界を広げてしまえばい
い。常識的な人なら、その位で詩としては丁度良くなる。