宮沢賢治メモ3—「答える」という在り方
石川和広
「森のゲリラ宮沢賢治」という本の中で、西成彦は、宮沢賢治の創作スタンスとして「注文」を受けると言う在り方が「キーワード」だと述べている。
前回、井上陽水の「ワカンナイ」でも、「雨ニモマケズ」の「心配するな」という賢治の答え方への違和を取り上げた。何でも自分の位置から注文に「答える」というあり方の問題。
ネットでも、答えのない呻きや問いがある。そうしたことに対して自分のことを自分で考えてもらう言葉の隙間がなければ、相手の「考える時間」を奪ってしまう。「答え」を与えてしまう。日常生活にもよくありがちなことだと思う。
賢治は鋭敏だったので、「答えたい」という気持ちが強すぎただろう。
しかし「永訣の朝」で、妹に「アメユジュトテチテケンジヤ」=「賢治、雪をとってきて」と言われて「さいごのたべものをもらっていこう」と「答える」詩を書くとき微妙である。
というのは、これは「死人にくちなし」の詩で、ふたりの関係で閉じているからだ。独白に近い祈りとも取れ、「かなしみ」もわかる。しかし、妹は「雪」をとってきてもらうのではなく、何かもっと賢治の想像するのとは違う、言葉の交わし方がしたかったのかもしれない。もっと云えば、死の床にいて、もう死にゆく現在を「外に出られない」という否定形ではなく、「賢治外に出て行って」という別離の挨拶だったかもしれない。
賢治もそう思っている節があるようだ。それは、タイトルの「永訣」=永遠の別れにも表れている。別れの辛さも表れている。しかし、それを、雪を取ってくるという言葉どおりの「注文」をうける形で表現するところに賢治の独自性と共にディスコミュニケーションが現われては来はしないだろうか?
ここは、不思議に「愛するものが死んだときには…」と「春日狂想」で歌う中原中也との違いが現われてくる。なぜなら「奉仕の気持ちにならなけあならない。」と賢治と同じ地点に立ちながら
奉仕の気持になりはなつたが
さて格別の、ことも出来ない。
と続ける。
ここで賢治のように「すべてのさいわいをかけてねがう」と崇高化させない。といって、こたえていないわけではないのは
そこで以前より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。
と、つづけて、先立たれたものの倫理が露呈してくるのである。
これは、痛切かつ平凡だが、「喪」を感じさせるのは、何とか生活に戻ろうとして出来ないことが歌われているからだ。
しかし、賢治が初期、「答える」在り方に疑問を持っているのは「春と修羅第一集」の始まりにあらわれている。「屈折率」では
このでこぼこの雪をふみ
向ふの縮れた亜鉛の雲へ
陰気な郵便脚夫のやうに
(またアラッディン、洋燈とり)
急がなければならないのか
急がなければならないのかと「反語的に」現われている。
本当に、「注文」を届けるために「急がなければならないのか」
ここに、雲にも「信号」を見つけながら、佇んでいる、よい「問い」を持った賢治がいると感じるのは
私だけだろうか?
「答えのない問い」=言葉の多義性に、向き合おうとして向き合えず「信ずる」の一方通行の詩人として読まれても仕方ないが、その読み方も止めたい。こうしか生きられなかったといえる賢治を読みたいところだ。言葉を「関係」から考えられなかった賢治。しかし、それを疑っていた賢治の姿もあるのではないか。そう読みたい。
*参考、引用文献
中村稔編「新編宮沢賢治詩集」角川文庫
現代詩文庫「中原中也詩集」思潮社
西成彦「新編森のゲリラ宮沢賢治」平凡社ライブラリー
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