原因
葉leaf

2月の頭、年度の終わりごろ、私はインフルエンザにかかって休養しながら窓の外を眺めていた。窓の外は吹雪であり、冷たい大気の中、強い風に押された雪片たちが絡まり合っていた。この雪片たちのように私たちは、冷たい世間の中、日々責任に追い立てられながら仕事でぶつかり合っているのだ。吹雪は私の疲労の原因のように思われた。吹雪は私の疲労を作り出した世間の実相を巧みに映し出しているように思えたのだ。

その一方で、吹雪は私の疲労の結果のようにも思われた。私の疲労もまた一つの雪片として吹雪の場に作用し、僅かながら次第に増大していき吹雪全体の変化をもたらす。私が疲労することで世間に小さな波が立ち、それが周りの物事と絡み合いながら影響を及ぼしていくのだ。また、私の疲労は冷たい大気や強い風といった吹雪の場そのものとして、吹雪の構造を変えていくかもしれない。

そうすると、吹雪は私の疲労の原因でもあり結果でもあるということになる。原因が変化して結果が生まれたり、原因が極まって結果が生まれたりという原因と結果の非同一性はもはや主張しがたい。この世間という吹雪の場においては原因も結果も同一で、吹雪は永久に冷たい大気に翻弄されながらその等しい絡み合いをやめることはない。私もまた永久に続く同一の吹雪の場に囚われた変わることのない一つの雪片に過ぎない。


自由詩 原因 Copyright 葉leaf 2017-02-02 18:04:46
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