おなじになれない
末松 努

それが
ゆりかごであれば よかった
あるいは
護摩供養であれば よかった

起きること は
ときに
起こってしまうこと に
すり替えられ
溶けない涙が湧き出し
炎は風となり散りゆく

辛く 悲しく 痛い
その感情だけが残され
明けていく朝に 感謝できない
それを何と呼べばいいのか
誰も わからない

それなのに
名付けようとする 人たちがいる
画面に浮かび上がる 現象を固定する文字
そこにあるのが 唯一無二の 事実だと
視聴者の感情を乗せる船が いきなり現れ
海の向こう 何があるのかと 人々が乗り込む
あとのことは 誰も 知らない

しばらくして
なにもないところに 再び文字が映る
復活した 元気が ここにあると
唾を飛ばし リポーターが 興奮している
ふりを している らしい
視聴者を 安心させようと したようだ
たしかに 彼らは その船には乗れる
しかし なにもないところに 幻影を語られても
その地の人には 船も来ず 乗ることができない

画面一枚の 彼岸と 此岸では
風景も 風も 香りも そして 人も
同じ思いを 抱きながら 語る言葉を おなじにできない

隔てることで 生活する人々に
切り裂いてもよい理が あるのか
染めてもよい 事実があるのか
それが 需要と供給 で片付けられるほど
彼らは 偉大なのか

削り取られた大地も 燃え尽きた土地も
あるのは それだけで 千差万別の思いは ひとことで くくれない
それでも 画面の狭さからか 誘導された文字が
テロップという権力で きょうも 迫っている


自由詩 おなじになれない Copyright 末松 努 2017-01-22 22:19:45
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