灰の肖像
ハァモニィベル

〈ふつふつと煮えたぎる〉孤独の中で、
〈爆発と偉業の準備〉をするために帰る
  「夜の屋根裏部屋」には、
 過去を殺したナイフが、
 心臓に 突き刺さっている。

盲目の壁を背に野うさぎの骨は笑う。
亀裂から、剝き出した自画像のように
手を振って。

床に落ちた一冊の古本の頁に、富永太郎の詩。
――『手』
  「おまへの手はもの悲しい
   酒びたしのテーブルの上に。
   おまへの手は息づいてゐる、
   たつた一つ、私の前に。
   おまへの手を風がわたる、
   枝の青蟲を吹くやうに。

   私は疲れた、靴は破れた。」

これは、もう随分古い事件である。
これは、もう迷宮入りしたのか?

「私」を疲れさせたものとは
何か? 靴を破れさせたものは
何か?

「私」とは? 「おまへ」とは? 誰か?……

犯人はまだ生きているのではないか?

(疲れて、破れた)
それでも、
「手」だけは、

まるで他人のモノの様に
(物悲しく、息づいてゐる)のだ

(「青むし」のように吹かれながら)

(青蟲のように・・・)

 床の上に、
事件は、もう一つ落ちていた
――「虫」だ。

 《或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に
  意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く
  苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと
  「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。》

いつも発端は、ささいな事だ。

 《何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからな
  かつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、
  或る幽幻な哲理の謎が、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。》

ささいな言葉に全人生をかけるなんて最初は思ってなどいなかった。

 《それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺ひょうびょう
  して捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉へることができるやう
  に思はれた。・・・》

だけど、

 《苛苛いらいらした執念の焦燥が、その時以来きまとつて絶えず私を苦しくした。
  家に居る時も、外に居る時も、不断に私は〔…〕
  この詰らない、解りきつた言葉の〔…〕、或る神秘なイメ-ヂの謎を》

気づいた時にはもう追い始めているのだ。

 《その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁いて居た。悪いことに
  はまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、
  意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは
  三シラブルの押韻をし、最後に長く「クリート」とくのであつた。
  その神秘的な意味を解かうとして、私は・・・》

わたしは、床の上にぐったりと開いていたもう一冊。古い朔太郎の詩集を拾い上げ、「虫」という題のその散文詩の箇所をざっと読んでいたのをそこで止め、
本を閉じた。

 そして、最初の事件を思い出す。

あの事件は、まだ迷宮入りしたまま、
だが、もう時効になっているわけでも、なさそうだ。

屋根裏で独り、書いてきたこの詩の
最後の一節を、いま、声を上げながらわたしが朗んでいる。

夜の屋根裏に独りゐる
疲れて、破れたわたしの前に
今日も風に吹かれて
詩人のおまへが
物悲しく、息づいている。

と。











(「蝶としゃぼん玉/【petit企画の館】」;《前後のSCENEを書く》参加作品です。    http://po-m.com/forum/threadshow.php?did=320890


自由詩  灰の肖像 Copyright ハァモニィベル 2016-08-04 18:50:15
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