死体の頭を数えて、永らえた今日を。
ホロウ・シカエルボク



指の隙間で結晶化する高濃度の殺意を洗浄しようとしてすべてが化膿する記録されない洗礼の日、鋼鉄の悔恨はカルシウムの欠片のように胃袋の底でごろごろと感染を続けていた、嘔吐の予感は十二時間も脅かし続け、なのに、食い散らかしたものたちは体内のどこかで寝ぼけているらしく微動だにしなかった、真冬のように寒い午後の終わり、明日はすでに宣告された刑罰のようにうなだれていた、強烈な風と性急なエンジン、窓を振動させるユニゾン、忌々しい和音に舌打ちをすると、カーテンに隠れた羽虫がお終いを決意する、無音の羽ばたきの埃のような虫、俺の手の中で轢死して、ティッシュ・ペーパーの白い闇に埋葬される、墓碑の無い死は誰も悲しませることなんかない、お前は幸せだったんだよ、なんて、誰の死を背負ってそいつは形を無くしたのか、理由は俺の魂に魚の小骨のように食い込む、神経の苛立ちのようなささやかな一瞬の痛みと共に…


アルバムを失った回転盤はアームをたたんだまま回転を続ける、血と肉を失ってカタカタと揺れている頭蓋骨のように、微かにベルトが摩擦を奏でている、暗闇と、ベルトと、回転盤のトリオ、そいつらが奏でるのはレクイエムでしかない、そいつはレクイエムでしかありえない、潰えたものだけがそれを必要とするわけじゃない、どんな世代にだって子守歌は存在するものだ、綻びが酷く目立つソファーに包まってアンサンブルに耳を傾けている、照明はすでに落とされていて、再び灯される理由はどこにも無い、今夜もう俺は何を見るつもりもないからだ、少しだけ残されたミネラル・ウォーターのボトル、僅かな明かりを屈折させて適当にまき散らかす、それはいくつかの家具の上で葬儀のためのカレイドスコープのような陰影を浮かび上がらせる、カーテンは閉じられてはいるものの、草臥れたレールの隙間から月の夜が忍び込んでいる、それはまるで厳しさを持たない海底のように思える


眠るつもりでそこに横たわっているはずの見開かれた両の目はどんなものを得ようとしているのか?回遊魚のように中空を泳いでいるそんな問いに俺は答えることが出来ない、だけどその問いに答えられるのは多分俺以外には在り得ない、問題なのは、俺自身が本気でその答えを求めていないところにある、放り出して、そうして、行方知れずになったまま見えないところで骨になって転がってくれないかと、そんなことばかりを考えている、つまるところ、俺はおそらくもう何も必要とはしていない、どんなものをも求めてはいないし、どこの誰にも期待などしていない、ただそんな思いとは別のところで、ソファーの上に横たわって蓄積した埃が振動に舞い上がるのを見つめている、そんな夜の断片はずいぶん以前からこの部屋の中にあった、俺がまだすべてを信じていた時代から、ずっとだ、いままではそれはちょっとした気まぐれのようだった、たまに訪ねてくるやつみたいにいきなり来ては去っていった、そういう付き合いを得意にしている女のように


だがいまそいつはほとんど毎日のように俺の隣に居て、ある種の欲望を制限するみたいに寄り添っている、俺は即席の珈琲の粉をマグカップに適当に投げ込んで安易な解放の中を泳ぐ、一昨日、俺は、打ち捨てられた映画館の廃墟を見つけた、「立入禁止」と書かれた札の張り付いた小さな木の柵を乗り越えて、猫の額ほどの駐車場に入ると、二階部分の剥き出しになったロビー跡が見えた、客席やスクリーンはすでに無かった、崩落というよりはそこだけが壊されて持ち去られたようだった、どうしてそんな風に残してあるのか判らなかった、それはきっと、そんな風にした本人にすら判ることではないのだろう、上映されない映画館、ロビーの奥にきっと今もあるだろうソファーに腰を下ろして、色褪せた時代の亡霊たちはどんな夢を見るだろう?思えば俺はずっと前からそんなところが好きだった、打ち捨てられた場所、意味を持たなくなった場所、ただ外界と遮られただけの、昔は語るべきものがあったがらんどうの空間、子供のころに忍び込んだロープウェイの廃墟、そんな場所のことは長い間忘れていた、でもいま、そんな理由のすべてが明らかになって俺と共にソファーの上に存在している、俺はきっと、客席もスクリーンも取っ払われた映画館のロビーに腰を下ろして、存在しない自動販売機で存在しない飲み物を買い、次の上映スケジュールを待っている亡霊の仲間なのだ…


日付変更線の丁度真上で一台の車がコントロールを失って路面電車の乗車口に激突した、近くの奴らがぞろぞろと表に現れて騒いでいる声が聞こえる、「これは駄目だ」「死んでいる」「まだ若いのに」俺は半分眠りの中に落ちながら鼻で笑う、何年生きていたかなんて運命とは何の関係も無い。



自由詩 死体の頭を数えて、永らえた今日を。 Copyright ホロウ・シカエルボク 2016-03-27 23:18:34
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