鋳掛屋
あおば

鋳掛屋は大阪付近では昭和40年代まで見かけたのだとネットには書いてある。西暦に直せば1965年から70年くらいの期間、日本国が美しい国から、あまり美しくない、やけに忙しく伝統を捨てて、国土開発の名の破壊をブルトーザーに代表される重機が大活躍し、車も普及し、誰でも使えるデジタルコンピューターが使うのに理論的知識が必要なアナログコンピュータを完全に駆逐して誰でもコンピューターソフトを使えるようになって、機械設計、建築設計、車やバイクにまでその影響が及ぶようになってきた技術躍進の時代だ。そんな時代にまで壊れた鋳物製の鍋釜の修理を、鋳掛行商する人が居たなんて信じられないが、関西は関東に比較して伝統的なものを大事にする文化があるのかもしれない。というのは関東では1980年代には完全に姿を消したオート三輪が、関西では最近までも仕事に使用している方が居られ、私は驚いている。2016年、今年の年賀状にも自力走行でどこぞのクラシックカーフェスティバルに参加したらしい青いオート三輪車の写真がインクジェットプリンターで美しくプリントしてあった。若しかしたら今は、業務は完全に息子さんに譲り、三輪車は趣味になったのかなと推測するが、少し前には曲がり角のきつい古い街での大物運送にはうってつけと、資材配送に使用していたのは確かだ。
鋳掛屋も同じかもしれない。残念ながら私は見たことが無い。昨日久しぶりに積もった雪の道を、竿竹屋の軽トラックは2本で1000円、15年前の価格ですと、おなじみの台詞をラウドスピーカーで流しながら走っていたのを耳にしたくらいだ。
それ以外の行商人は、焼き芋屋、産地直送と名乗る八百屋、そういえば、魚屋が絶滅した我が町では、お金持ちの年配者目当ての冷蔵ケース付きの魚屋の軽四輪が、決まった場所で客を待っている。スーパーの魚は美味しくないから、魚臭い匂いがしないから、普通の魚屋さんの魚が食いたいといつも思っているので、その軽四輪を見るたびに試しに魚を購入してみたいものと思っているが、その行商のおやじ、私が買う気があるとは思わないのか、決して目を合わそうとしない、女性ならば声を掛けてくれるのかなと思いながら、冷蔵ケースの中をこっそり観察しながら何度通り過ぎたことか、昔、道ばたで、バカ貝をその場でむき身にアオヤギにして売っていた行商の貝屋さんを、生きているのに残酷だとか言って、おちょくった罰なのかもしれない。
それが鋳掛屋さんだったら、付き着っきりで黙って詳細に観察して、いろいろ五月蠅く質問を投げかけただろうことは間違いない。鋳鉄を溶かして割れた部分に流し込み溶接するなんて、なんて面白そう、私も真似して火傷したりしたことも間違いない。鞴の風で炭火を起こし銑鉄を白く感じるほど明るいオレンジ色になるまで熱して溶かす、なんと魅力的なことか。
今でも、お寺の鐘や古い半鐘の修理には鋳掛けの技術を用いるとのことを知り、今でも鋳掛け職人が居るのだと、なんだか嬉しくなる。古代から現在まで続いている鋳掛けの技術、近代化した金属溶接法のひとつとして、使われているのを知り、これからも生き続けるのだなと少し安心した。
残念ながら、鋳掛と沸かし接ぎ(鍛接(たんせつ) )の区別も知らなかったそそかしくおっちょこちょいの私はたとえ親父が鋳掛屋でも後を継げなかっただろうと確信している。



初出「即興ゴルコンダ(仮)」
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自由詩 鋳掛屋 Copyright あおば 2016-01-20 23:36:21
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