・歴史家 李光洙
歴史家よ
きみの歴史は嘘つぱち!
われらの愛が誌されてない歴史
そんな歴史があるものか、
われらの愛の破綻が誌されてない歴史
そんな歴史は知れたことさ、嘘八百さ。
歴史家よ
きみの筆は追ひまわす――腹藝の茶番狂言や、からくりの外交を、
だけれどきみは知るまい
たんぼの畦みち
牧場を吹く風のそよぎに
まことの歴史のかくれてゐるのを――。
歴史家よ
吾子の習ひ覺えた片言を きみは書いたかね、
おつむてんてん あんよは上手を 書いたかね、
遊び疲れて寢入つてゐる無心の寢顔も入つてゐるかね、
それのない歴史ならば知れたことさ、嘘八百に決つてゐるのさ。
『朝鮮詩集』金素雲訳編
○
・Yahoo!ニュース
「国民をバカにしないでください」 SEALDs奥田愛基さんが国会で要望(全文)(弁護士ドットコム)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150915-00003690-bengocom-soci
だから選挙に行けとしか言えないのよねえ・・・
「自由と民主主義」で選ばれたのが、今の与党なんだけどね。
ちなみに、このデモについては、わたしは無意味だと思っているけど、安保関連法案を解釈で変更するのはよくないと思っている。でも、その個人的な思想と、与党が政策を通すかどうか、通せる権利を持っているのかどうかは別問題。民主主義の下、多数の票を得た党が物事を決めるのは当たり前だろう。そのことをしっかりと考えないと、法案が通された後、「やってみるだけやったけど駄目だったねえ」っつって選挙に行かないようになる。そうなると60・70年の安保闘争のときと全く同じ轍を踏むことになる。
もう一つ。私は、安保関連法案を戦争法案だとは思わないが、仮に戦争法案だとしたとして、この法案が一度通されたら、二度と覆すことができなくなるとか思っているのだろうか?
今後、
デモをしても法案廃棄になど至らず、
「やっぱり権力には勝てなかったね」なんて
やれることはやった顔をして、
その後投票には行かず、
政治は変わらないものだと
あきらめムードを漂わせるような、
そんな馬鹿者にはなりたくない。
・BLOGOS
橋下徹
あんなデモくらいで世の中を動かすことができるなら、僕の今までの労力はなんだったんだ?世の中そんな甘くない。
http://blogos.com/article/132262/
○
「公正か否かを判断するのはむずかしく、公正を貫くはさらにむずかしい……。
倫理にもとると考える向きもありましょうが、真に世慣れた者は、倫理にも柔軟性を残すもの……」
いっぽうが銃を持ち、いっぽうが銃を持たない。その状況において、どうして公正さなど望めようか?
『タフの方舟1』ジョージ・R・R・マーティン/酒井昭信訳
○
・女性参政権:ウィキペディアより抜粋
日本で普通選挙が実現したのは、1925年(大正14)であった。しかし、フランス革命当時の欧米と同じように、男性のみの参政権が明文化された。
1931年には婦人参政権を条件付で認める法案が衆議院を通過するが、貴族院の反対で廃案に追い込まれた。
第二次世界大戦後の1945年10月10日幣原内閣で婦人参政権に関する閣議決定がなされた。
「投票しない権利・自由」とか言ってる馬鹿者は、こういうことを知らんのやろね。いまいまあたり前のことは、昔からあたり前だったわけじゃない。
お前の一票に何かを変える力などない。
投票するということは、
投票する権利を使う自己を確立させることであり、
そのことを誰に言うでもなく行使するということだ。
投票しないということは、
投票しない権利を行使するということではなく、
投票権を放棄するということだ。
思考を停止した先に平和などない。
あるのは与えられた平和だけ。
声を出せばそれが立派な行動だと勘違いしていないか?
与えられた平和にその自由を保障されながら、
やること、やれることにたいした個人差などない。
変えうる力点はどこにあるのか?
思考を停止した先に見えるものなどない。
・日本国憲法の改正手続に関する法律:ウィキペディアより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%AD%A3%E6%89%8B%E7%B6%9A%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
・総務省「もっと詳しく国民投票制度」
http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/flow.html
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・朝日新聞デジタル
安保法案の今国会成立「必要ない」68% 朝日世論調査
http://www.asahi.com/articles/ASH9F659TH9FUZPS569.html
こういった世論調査とやらに意味があるのか? いまの私には無意味にしか思えない。
4047件の調査より、有効回答は1994件、回答率49%って、質問に答えなかった51%は無視ってことやろか?
そもそも、世論調査の結果が多数の国民の意見なのであれば、選挙なんか必要ないじゃん。
これを実数に変えると、
1994人中、
・安全保障関連法案は、「賛成」29%、「反対」54%だった。
→「賛成」578人、「反対」1077人。
・国会で成立させる必要が「ある」は20%、「ない」は68%。
→「ある」399人、「ない」1356人。
となる。
二千人弱というと、ちょいと大きな高校の全生徒数くらいの人数でしかない。その程度の人数の調査で、しかも調査対象となった人たちが正直に答えるのかどうかも分からないような代物を、世間では世論調査と呼んでいる。
みんな遠慮してだまっとるだけじゃよ。
手前は無駄口などたたきません。無駄口をたたいたことはございませんし、これからもたたくつもりはございません。まずは調査と研究です。消化しなければならない情報が大量にございますので」
『タフの方舟1』ジョージ・R・R・マーティン/酒井昭信訳
現在行われているデモとはdemonstrationを略した言葉である。意味は「ある特定の意思・主張をもった人々が集まり、集団でそれら意思や主張を他に示す行為である(ウィキペディアより)」。デモ活動により、どこに何を働きかけようとするのかはそれぞれ違いがあるが、多くの人たちにデモ内容を知ってもらうという意味では、デモの目的は宣伝ともいえる。例えば同性愛をアピールするデモであれば、自分の周りで見たことがなかったとしても、世間には同性愛者がいて、場合によっては結婚をしたがる人もいるのだということを周知してもらおうとする。いま現在も行われている安保法案反対を訴えるデモは、すでに多くのメディアに取り上げられたので、周知を目的とするのであればその目的は果したといえる。次に、これだけの人々が反対を叫んでいるのだ、ということを政治家に知らしめる目的も果しただろう。ここまではデモへの賛否とは関係なく自由にやればいい。この国ではデモの自由は認められている。しかし、このデモにより法案を取り下げさせたり、廃案に追い込んだり、それを妨害しようとしたとすると、話は変わってくる。それは民主主義(デモクラシー)を否定することと同義になるからだ。
デモクラシー(民主主義・民主制・民主政)とは、「諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制(ウィキペディアより)」である。民主主義=多数決でいいのか? といった発言も、このデモ以降見受けられるようになったが、民主主義で物事の採決をとる場合には多数決を採用しているのだから、物事を決める際に多数決で決めるのはあたり前の話なわけだ。これが一部(少数)の権力や暴力行為によって覆されたとき、それは民主主義ではなくなる。いわんや、自民党と他の政党が賛成して行った今回の採決は「強行採決」でもなんでもない。あれは多数の意志により決定したということでしかない。
自分たちの気に食わない政策・法案だから多数決を否定しはじめる、そういうことを独裁政治というのだ。この法案を真剣に取り下げさせたいのであれば、次の選挙で自民党を大敗させればいいだけのことだろう。思考停止した左寄りの行動は、同じく左寄りだった冷静な人たちの目にどう映っているのか?
私はかなり左寄りなんだけどね、左寄りの人の意見で納得いくものが少ないのも事実。デモで反対したけど抵抗むなしくそれで終わりっていうオチが一番だめ。よしあし関係なくこの法案は通ってしまう。けれど次の選挙に行くこと。効果をあげられるのはそこにしかない。
・twiter
堀江貴文(Takafumi Horie) @takapon_jp 8月30日
選挙で投票
RT @Jam19980601: @takapon_jp 質問なのですが、堀江さんは、デモに変わる行動として、どのような行動が良いと考えておられますか?
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逆境の攻撃は勇者の精神を背かせはしない。同じ姿勢を保ち、生じ来るいっさいを己の色に変える。いかなる外部の事象よりも強力だからである。それらを感じないというのではない。打ち克つのだ。
『怒りについて』セネカ/兼利琢也訳