九月二日
るるりら

八月十五日は 終戦記念日ですが、それは あの玉音放送が放送された日だからですが、
本当の意味で 戦争が終結したのは、七十年前の九月二日だということを 私は今年になってはじめて知りました。

この夏に、 広島の呉にある大和ミュージアムで開催された【日米最後の戦艦展~戦艦大和と~】を観に行ったからです。

私は、以前から、大和ミュージアムへは行きたかったのです。なぜなら 私の祖父も父も造船に携わった人でして、祖父の場合は 戦艦の設計に携わっていました。
祖父は、将校という称号だったらしいのですが、祖父は孫の私に戦争の話を あまりしない人でしたので私には実感がありません。ただ祖父の葬儀の日に聞いた話では、祖母にプロポーズに来たときは白馬にのってサーベルを持った軍服姿だったと聞いて とても驚きました。それが祖父のことを軍人と はっきり認識した唯一の出来事です。
 祖父は 愚直で実直だけど背筋のしゃんとした人でした。軍人と言われても私としてはいまもどこか納得できませんが、ただ、戦艦が構造物として美しいという話は とても頻繁に聞いています。祖父の家の納屋には戦艦船長室の立派な椅子を 貰い受けているのを見せてくれたこともあります……。そんなかんだで、大和の巨大模型の展示は 一度は観ておきたかったのです。

つまり 私に とても近しい人は 軍需関係に 携わっていました。
しかも そのことを祖父本人は誇りと感じていたし、実際に その仕事に近い模型などを観ると 私も美しいと 感じてしまいました。

しかし、戦艦は 人殺しの道具です。戦争とはなにかは、構造物の美しさではなく 物語として ちゃんと語られるべき事柄です。
 わたしは 幼いころ、隣国の方が父の会社の前で抗議のデモをしていたのに出くわしたことがありました。当時は 私は幼くて 人々の言葉が外国語だったこともあり どこの国の言葉だということすら さっぱり わかりませんでした。が、あの方々は 強制的に日本に連れてこられて労働をした方々だと思います。労働だけならまだしも原爆被爆を されてしまわれた日本人ではない方も 多数存在するのが事実です。
日本は敗戦国ですが、戦争に勝ったこともあるという事実が そこに あります。

終戦日というと、玉音放送が放送されたとき 日本人の多くが涙をながしているというイメージ。それが終戦記念日ですが、本当の意味で戦争が終結したのは 九月二日。ミズーリという戦艦の甲板で調印は おこなわれました。わたしは その時の調印の様子の動画でも この企画展で観ました。かの戦争は 戦艦の上で終わったのです。その後、そのミズーリ艦は、その後も 様々な戦争に関わっています。場所をかえて 同じようなことが おこりつづけてきたのです。

勝ち続けている国がある。勝ったことがあるが負けたこともある国が日本である。
それから 今も苦しんでおられる国もあります。
私は、これからの九月二日は、そのようなことを考えたいと思います。


散文(批評随筆小説等) 九月二日 Copyright るるりら 2015-09-02 10:13:13
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