大崎のキンコーズの思い出
番田
私は自腹で買ったパソコンを五反田にある自分の部屋に持ち込むと、深いため息をついた。そして、会社から持ち帰ってきたバッグや不要な服、PCパーツといった類のものを、すぐにオークションサイトに出品した。食事は、外食などできるはずもなく、炒飯中心にして、糖分が不足するとパンにピーナッツバターをつけてしのぐということにした。部屋は狭く、家賃6.5万がとても大きな重みである。以前いた会社から持ち逃げしてきたKTCの工具セットに高めの入札が入ったときには救われた気がした。これで、今月はしのげると。履歴書は買うには高く、面接時、プレゼンのための資料を印刷する目的もあって、大崎にあるキンコーズまで面接の終わった夜、冬の寒い道の中へ自転車を急いで走らせていた。大崎にたどり着いたときに見た近未来的な光。私はそこまで行くときは出力した紙をスーパーのビニール袋を持って行って運んでいた。ある日、私は四畳半ほどしかない部屋の外から、ラップの大きな声がしているのをなんとなく聞いた。隣の、同棲している若いカップルの部屋からだった。この狭い部屋の中で、どうやって二人で暮らすのだろうということを、いつも疑問に思っていた。そんなふうに、私は昔、ある会社を辞めた後、とても貧乏だった時期があった。所持金はその会社にいるときにすべて使い果たしていたが、逃げるようにして辞めてきたので、月々の家賃もまさに払えないかもしれないという危険な状態だった。とにかく仕事が決まるまでは、オークションでしのがなければならない。あまり親とも仲が良くなかったので、頼るわけにもいかないという状況だった。私は家にプリンターが無かったので、キンコーズの制限時間内に、そこで、家から仕込んできた色々なデータを震える手でUSBメモリから移し、素早く印刷しなければならなかったということを懐かしく思い出す。当時はまだ、プリンターの精度も決して高くはなく、値段自体もその当時の私にはとても高かったのだ。しかし、職安の出張所が近くにあったのは救いだった。私はそこから、多くの面接にこぎつけることができた。しかも景気が今ほどは悪くはなかったということが、ピンチだった私の背中を押してくれた。