晩夏だったはず
飯沼ふるい

ちょうどあそこの
宅地に囲まれた
整地もなされていなくて
誰も見ているけど
誰も知らないような
小さな野っ原
まずあの野っ原がなければ
始められない気がする

姿のない声が
はっきりとそこから聞こえる

「うしろのしょうめんだぁれ」

子供らの唄うはないちもんめ
けれど本当にそうだという確証はない
他の人には
ヒステリックな主婦の金切り声や
老いたサラリーマンの鼻唄に
もしかしたら泣き女の痛ましい嗚咽だったり
はたまた人外の虚のようなおののきにさえ
感じうるかもしれない
暮らしの中のふとした追想か
けれどそれは本当に子供らの声に違いない

そしてその日見ていたものは
晩夏の景色のはずだった

九月の暮れの小さな遊び場
夕暮れに染まる
子供らの声が
とろとろと延びる影に溶けていく
なんてことを書いていると

「三番線に
 列車が参ります
 危ないので
 黄色い線より
 下がって
 お待ちください」

そんなアナウンスが
無人の駅舎の方から聞こえてきて
近くの踏切で
乳母車をおす男が寂しそうに立っているのが見えてくる

男は赤子の寝顔を覗き
このまま乳母車を踏切に投げ込んでしまおうか思案する
赤子を供物に捧げよう
それが馬鹿げた妄想で
彼だって赤子が真実愛しいのだから
ずっとハンドルを握りしめている

二両ばかりの列車を見送り
踏切を渡る男の哀しい背中を見送り
あの野っ原の方を振り返る

するとどういう訳か
さっきまでの赤や朱の彩りはすっかり褪せて
白い陰や黒い陽射しの入り混じる
無声映画のような風景になっている

そうなると
薄暗い雲から
綿みたいな雪が降らないといけない
冷たいにおいが
もうそこらに満ちている
町は黙祷をはじめ
唱う子らの声も
降りしきる雪に紛れ
九月の暮れに落ちた影が
乾いた雪に埋もれていく
そういう風に書き換えた

そろそろ終わりにしたいのに
終わりようのない雪は降り続いている
そもそも終わりとはなんだろか
散歩の道すがら
野っ原を眺めるたびに考えた
このちっぽけな野っ原は人を欺く為にあって
本当にそこにあるのは荒涼たる原野ではないかとも考えた
考えているうちに
あれははないちもんめじゃなくて
かごめかごめだと気がついた
一つの正しいことに触れた途端
野っ原は真っ白に塗りつぶされていく
僕が見たもの
僕が聞いたもの
それら一切は印象からも脱皮して
このように
白々しい言葉と果てていく

「かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる」

もう何も見えないし
何も聞こえない
明日になれば野っ原に
まっさらな雪のかむった墓石が並ぶ


自由詩 晩夏だったはず Copyright 飯沼ふるい 2014-11-11 22:26:11
notebook Home 戻る  過去 未来