紅月

かなしみをうつくしく飾っておくために
かなしみのかなしみという蓋をそっととじて
ひとりのわたしは
それを花冷えの野に埋める
たとえ
きのうのわたしがそれを掘りかえしても
もうそこにはわたしたちはおらず
ふいに降りだした
はげしい雨がわたしの躰をつよく打つたび
抱きかかえたかなしみはからからとかるい音をたてて鳴いた




やがて
やまない雨は街を水に閉ざし
わたしたちはみな歩くことをやめ遊泳するようになった
どうか知っていてほしい
足跡は遺されるもののためにあるから
口に出さずに秘匿しなければいけないよ、と
きのうのわたしが
水没したわたしたちに言うのだけれど
わたしたちとうに歩くことを忘れてしまった
おおよそ「春」という示威的な文脈のなかで
水圧に握りつぶされた花々の
花弁がひらひらと水にあそび
あらゆるセンテンスの意味するきのうが
花冷えの
野にうずもれたかなしみに影をつけていく




そうして
かなしみの深淵に
春はいまにも呑まれようとしているのに
雨足はいっそうはげしくなっていく



ひどくせいけつな寝室には
不確かな喘鳴が吹きこぼれ
嘴にしろい錠剤を咥えた小鳥たちが
窓辺に列をつくっています




おとずれる反作用が花弁のように拡散して
床に散らばったきのうの骨がからからと
街に雨を降らせつづける、
水、浸される寝室、閉ざされた春のきのう、
きのう、咲きそびれて、
反響、しています、それは(わたしの
いくつめの骨ですか




かなしみをうつくしく飾っておくために
かなしみのかなしみという蓋をそっととじて
ふかく埋めた花冷えの野に
降りそそぐ雨が
福音となって
春をやさしい隠喩のなかに浸すとき
殴打されるわたしの
きのうが、わたしの影になって、
わたしを追いこし歩きさっていく、
遺されたわたしは、わたしの影だから、
わたしを追いかけなければならないんだよ、
といって、影となったわたしは、
わたしを追いかけ、追いこし、
追いぬいた影をわたしは追うのだ、
そうして、
そこに遺された足跡をかなしみと呼び、
かなしみのかなしみという蓋をそっととじて
ひとりのわたしは
それを花冷えの野に埋める
たとえ
きのうのわたしがそれを掘りかえしても
かなしみは曖昧なかなしみとして
そこに昏々と眠りつづける



自由詩 Copyright 紅月 2014-06-18 03:26:06
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