夜更けの紙相撲 水の月 プロミストランド
そらの珊瑚
私が各地(といっても3都市だけだが)転勤の末、夫の出身地である広島へ行くことになった時のこと。
それを聞いたある人が言った。
「大丈夫なの? 広島に住んで。ナマ水とかは飲まないようにしたほうがいいんじゃない。子供がまだ小さいんだし」
「へ? 大丈夫って?」
最初なんのことかわからなかった。
タイムラグのあと、あ、もしかして原爆のこと? と思い当たる。
「だってあれからもう何十年?(その頃の私ははっきりとした数字を知らなかった)人だっていっぱい住んでるし、大丈夫なんじゃないの?」
人ごとみたいにのんきにそう答えた。いや、もしかしたらのんきそうに見せていただけかもしれない。
そういう会話をしたこともつい最近まで思い出しもしなかった。
2011年3月11日より前の話。
どうして今広島に住めるのか、果たして本当に安全なのかを私は知らなかったのだ。
ネットで調べてみた。原子爆弾の放射能汚染と原発事故による放射能汚染の違いなど。
とりあえずは納得してみたものの、
ほんとうにそれは正しいことなのだろうかという疑問は消えない。
今自分が住んでいる土地のことを。知っているのは歴史の断片でしかない。
本当のことってなんだろう。
何か、それは縁とも呼ばれる類の細く、かつ太い糸のようなものに導かれて、ひとりにひとつ約束された地というものが用意されているような気がしている。
地に足をつけて人が生きていくために。
そろそろ梅雨に入る季節、今年漬けたらっきょうが透明の瓶の中でぼんやりと色づいている。