分け入っても分け入っても青い山
yo-yo

公園のベンチにすわって深呼吸をする。
遠くに青い山が見える。山はいつも見る風景の中に、変わらずにある。
おじいさんにもらった山である。
というのは真実ではない。
自分の詩の中で、自分勝手に自分のものにした山にすぎない。

夏は
山がすこし高くなる
祖父は麦藁帽子をとって頭をかいた
わしには何もないよって
あん山を
おまえにやるよ

そんな山だ。
引き寄せることも、手に取ることもできない。だから厳然として安泰で、いつもそこにある。遠くにあるが近い。
いつのまにか公園も、ぼくの庭になった。庭は近くにあるが遠い。

公園で、ぼくが息継ぎをしていた石のベンチは、3年前に男のホームレスに奪われたままだ。
彼は夕方になると、家路を急ぐようにしてそこへ帰ってくる。
はじめはリュックひとつだけだったのに、いまでは3個の大きな荷物を背負って戻ってくる。昼間の行動は皆目わからないが、彼には彼の生活パターンがあるようだ。

公園ではいつも、ぼくは手ぶらだ。
ポケットには万歩計がある。ほとんどいつも歩く行程は同じだから、万歩計は時計がわりにすぎない。
周りでは、すばやく駆けぬけていくものたちがいる。かれらはマラソン選手のように、スタートとゴールがあるみたいだ。
ぼくは片足けんけんをして、古い耳の水をだす。
万歩計をすて、青い山のつづきを追いかける。
歩いても歩いても、拾っても捨てても、重くもならず軽くもならず、荷物が増えることはない。
それらは山そのものだったり、庭そのものだったりするからだ。

きょうは青い空をひろった。







自由詩 分け入っても分け入っても青い山 Copyright yo-yo 2014-05-03 07:57:37
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