涙の虹
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104歳の詩人、まど・みちおさんが老衰で亡くなられた。
そんな歳まで詩人のままだったなんて、すごいことだ。
追悼の意味もこめて、すこしだけまどさんの時を巻き戻させてもらいたい。
巻き戻しても、まだ100歳だけど……。

100歳の詩人の、まつ毛のところには、いつも虹があるらしい。
「涙が出さえすれば、虹になってるんです」
ふしぎがりの詩人 まど・みちおは言う。(NHKスペシャル『ふしぎがり〜まど・みちお百歳の詩〜』)
「自分のここ(まつ毛)に涙、小さい虹が出てるな、って思うことはできますんで、思うと本当にできてるようで、涙っちゅうのはどんな人でもそうでしょうけど、とっても涙を出した本人に身近なもので、本人が頼りにしているもので、最後の一滴みたいなもんですからね。涙が持ってる虹っていうのは素晴らしいですよ」と語る。
100歳の涙に虹がかかる。
想像したら、こちらの目頭も熱くなった。

100歳の詩人は、病院生活を続けている。
しばらくぶりに妻や家族と会って涙を流す。腰を痛めた96歳の認知症の妻とは、もう会えないかと思っていたと涙しながら、強く手を握りあった。
家族と別れたあとに、ひとり病室の机に向かうと、クレパスの様々な色を紙の上に塗り分けていく。それは、きょう見た涙の虹なのだった。
彼だけが見ることができる、涙の中の小さな虹。
まど・みちおという詩人は「小さなものの中に人生が見える人」だと、谷川俊太郎はいう。
「顕微鏡の目と望遠鏡の目を併せもっている」人だともいった。

顕微鏡の目でアリの世界を見、望遠鏡の目で宇宙まで覗いてしまう。
そのような詩は、はるかな宇宙飛行士の心にまで届く。
宇宙ステーションで朗読される彼の詩。
毛利さんの声が宇宙の電波にのって、こんどは地球に戻ってくる。

   生きものが 立っているとき
   その頭は きっと
   宇宙のはてを ゆびさしています
   なんおくまんの 生きものが
   なんおくまんの 所に
   立っていたと しても…

   (中略)

   けれども そのときにも
   足だけは
   みんな 地球の おなじ中心を
   ゆびさしています

        (まど・みちお『頭と足』より)

人間はなぜ詩を書くのか――と彼は自問する。
詩を書かないと死んでしまうほどではないけども、生きるための息の次に大事なものがあるという。それは「言葉」であり、「そういうものが、どうしても出てくるのでございます」という。
何かにつけて、「ふしぎな感じ」をもたずにはおれない習性をもちつづけている。だからだろう、詩にしたいと思う材料は、いつでも新しく見つかる。
「世の中にクェスチョンマークと感嘆符と両方あったら、他はなんにもいらんのじゃないでしょうか」。
百歳の詩人の目は、いまもなお疑問符と感嘆符の世界を見つづけている。
そしてその目には、ときどき美しい虹がかかる。

私はまだ、涙の虹を見たことがない。







自由詩 涙の虹 Copyright yo-yo 2014-03-01 08:05:27
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