ほねのみるゆめ
itsuki



彼女は広くて一面真白の部屋で暮らしていました。それは、慎ましやかで、とてもおだやかな生活で、彼女はその部屋での暮らしを大変気に入っていました。それに、なんといっても彼女には愛すべき同居人がいたのです。彼は、つまり、ほねでした。もう少し細かく言うなら彼は、恐竜の、全身骨格でした。彼の体はとても大きく天井すれすれで、いつでも、ほねのすきまから向こうがわが見えていました。

彼女はよく本を読みました。彼に童話や絵本を読みきかせることもあれば、ひとりで推理小説に熱中することもありました。彼女はその時間がとても好きでした。時々彼とする鬼ごっこも、フリスビーも、もちろん楽しい時間ではありましたが、彼女は放っておけば何時間でもページを繰ってゆくのでした。彼はいつもその隣で心地よさそうにうとうとしていました。


ある日彼女は部屋のずっと奥の本棚から、古ぼけた図鑑を引っ張り出してきました。彼の名前や、どんな姿かたちだったかを、知りたいと思ったからです。図鑑を彼に差し出して、彼女は教えてと言いましたが、彼は静かに首を振りました。彼女には、彼が少しかなしい顔をしたように見えました。彼は、じぶんが本当に生きていたころのことをなにひとつ覚えていなかったのでした。
それでは仕方ないと、彼女は図鑑のページを繰っては指差して彼に尋ねました。
「これは君かしら。どう、見覚え、ある?」
彼は首を横に振るばかりでした。そうやってしばらく鈍い反応をし続けた彼でしたが、そのページにたどり着いたとき、彼はじっとそれを見つめました。それに気づいた彼女も、同じようにじっとそれを見つめました。
彼女は、あ、似ているなと思いました。そうしてそこに書かれている、おそらく彼の、名前を呟きました。
「ティラノサウルス。」
彼が、ゆるやかに尾を振りました。

彼の学名が発覚した次の日から、彼女は恐竜の本をたくさん買い込んで来て、読みふけるようになりました。それらに書いてあったことを、彼女はしばしば彼に話しました。
「これに載っている君の皮の色、本当はわかっていないんだって。君、本当は何色だったの。」
「新しい図鑑で君のことを読んだけれど、君の首回りの羽毛はとてもいかしてると思うよ。」
彼はその度に困ったような反応をしましたが、どこか嬉しげでもありました。



彼女はいつも眠るとき、彼のあばらの中にもぐりこみました。彼は毛布と寝る前のあたたかい牛乳だけ、自分のあばらの中に持ち込むのを許しました。そのおかげか彼女の寝付きは早いほうでしたが、眠れない日には下から見上げた彼のあばらぼねの数をかぞえるのでした。けれども彼女はいまだに、彼のそのほねがぜんぶで何本あるのかわかったことはないのでした。そんな風にして、彼のあばらの中は、すっかり彼女の寝室になっていました。
ある寒い朝に彼女は目を覚ましました。きんと冷えた冬の訪れを、目覚めたての頬で彼女は感じます。そうしてまた、さえぎるものが何かあるわけでもないのにそれでもあたたかいその寝室のことを、彼女はただただ不思議に思うのでした。

「ねえ、私はゆめを見たよ。君のゆめを見たよ。」
寝起きの声で彼女がささやくのに、彼は尾だけで静かに返事をしました。
「平原を駆けるゆめだったんだ。こんな部屋よりももっと広い平原で、うんと高い目線で、うんと早く走ったんだ。まえに図鑑でみたやつがたくさんいて、そいつらを追いかけて、追いかけられて、吠えて、吠えられて、そんな風にして走りまわったんだ。まるで君になったみたいだった、君の、目玉になったみたいだった。」
彼女はゆめの余韻にひたるかのように長く息を吐きました。彼もまた尾を振りました、少し熱の入ったような振り方でした。
彼女のねむたげにうるんだ目はじっと真上のあばらぼねたちを見つめ、それに触ろうとするかのように腕をのばしました。当然彼女の腕の長さでは届くはずはなかったけれども、彼女はかまわずそうしました。

「ねえ、きっと君にまだ皮があるとき、このあばらの中にまだ贓物がつまっていたとき、君は走る三本角なんかを追いかけて、噛みついて、そうやって捕食したりしたんだろう。」
彼女がそう問いかけました。彼にはじぶんが生きていたころのことはわかりませんでしたが、なぜか、その時は、わかるような気がしたのでした。彼女がことばを続けます。早朝の青い光が差し込む部屋で、彼女の声だけが響きました。
「君はさ、私があばらの中にいることで平原を駆けていた頃をおもい出したりするのかな。胃に食いものをいれて腹を満たす感触と、私の親愛なる寝室は似てるんじゃないかなって思うんだよ。」
彼女がはなすことを、彼は心地よく聞いていました。彼女にもそれがわかっていました。
「君が眠りの中で平原をゆくのだったらいいな、死にながら生きる君を、毎夜ほんとうに生かすのが私であるのなら最高だ。そうして君はその毎夜、君が生きた平原に私を連れてゆくのだね。」


いつも物静かにしている彼が、めずらしく、低い声で吠えて、ほねがその鳴き声に揺れました。気高く、凶暴で偉大な鳴き声だと彼女は思いました。そうして微笑みながら目を閉じます、もう一度、彼のゆめをみるためにです。



 


散文(批評随筆小説等) ほねのみるゆめ Copyright itsuki 2014-03-18 22:45:19
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