詩に関する雑文、あるいは恋文
bookofheaven


 あれは銀色夏生の詩であったろうと思う。
詩集を探してみたけれど見当たらないから書きようがない。
君は出典を気にするだろうから探しておく。

 君が携帯のメールで「月がきれい」と送ってきたことを覚えているだろうか。

私もちょうど外にいて、仕事帰りだったから、すぐに返信することができた。
そうして少し考えて
「同じ月をちがう場所で同じように見ている。それだけで、それだけで嬉しい」

と送ってみた。
その言葉が何のパロディか、君は気づいてくれなかったけれど、すぐに電話がかかってきたのは少し嬉しかった。銀色夏生の詩のパロディだと言ったら出典を教えろと言ったね。
結局教えなかったけれど、君はすぐに忘れてしまったんだろうか。
あの電話では、何度かせっつかれるかと思ったけれど、結局、君は何も聞かないままだった。
 君は気づいてたのかも知れないね。出典を知ったら、きっと君は気づくだろうから。
そうだよ、私は君が好きだ。
今では互いに家庭があって、子供も大きくなって、長く育んだ友情は、たとえどれほど長い時間も距離も、会えば忘れさせてくれるけれど。
あの時、あの詩の出典を君に教えていたら、君は私にどういう顔をしたろう。

 あの詩はね、
「会えば喧嘩ばかりだのに、気がつけば同じ空を同じような顔を見上げていたり、好きなことが同じだったり、そういうことに気づいて嬉しい自分がいるんだ」
と、意識しはじめた異性でも同性でも、誰かを思う詩だ。
 ほんの少しでも、自分と重なる部分を見つけて、「それだけでそれだけで嬉しい」とつぶやく、そんな気持ちを君は共感してくれるだろうか。
あの時の電話の様子では無理かな。
 知っているかな、銀色夏生といえば、中高生が好みそうな恋愛詩や友情詩が主なんだ。当然、知っている人はほのかな異性への気持ちを連想したろう。
実は私は別に君を好きだとも何とも思っていなかった。
この詩にしても、気を置けない友人にあてはめて考えていた。だから、当時男友達ほどに仲良かった君からのメールと、同時に月を見上げていた自分の関係を連想して、あんな返信をしたんだ。
 でも君からどういうつもりの言葉なのかという電話がかかってきて、思いもしなかったその質問に対する答えを見つけようとして、初めてあの詩が恋愛にもあてはまるのだと気がついた。
 君に適切な回答ができなくって、ごめん。
 ついでにこんなに遅くなって回答を明かしたりしてごめん。

 あと何年付き合えるのかな、なんて、ベッドの上からしか見れなくなった月を見上げていながら、君を思う。昔の君は黒髪お下げで、今の君は白髪を短くしていたね。
もはや目を合わせても言葉すらろくに紡げない君に、文句が言えるはずもない。大体が、私たちは会えるからといっても、特に会話が弾むわけじゃなし、実は趣味だって好みだって価値観もまったく違う。それが原因で年甲斐のないケンカだってするくらいだ。互いに手をとり合って愛を交わすなんて、コメディみたいだ。
 でも、今でも、会えば嬉しい。君の存在がまだ私の前にいることが、嬉しい。
私のことを思い出せない君だけれど、今もまだあの時の気持ちを忘れていない。
君がいる。それだけで、それだけで嬉しい。

 わざわざ詩を読む意味がわからない。
 そういう人は多いのかと思う。

 本を読むことが好きな人に、本を好む意義があるかと尋ねても、単に好きな人は好きだから読む。詩は違う。詩は描かれている光景を想像できなければ味わえない。
言葉の流れや韻を楽しめなければ、さっぱり楽しめない。特に意義もない。愚痴に近いものだってあるのだ。
特に詩人が解説なんぞを入れていたりすると最悪な場合もある。高潔で聖人な詩人など!

「月よ月 だまってむこうを向いていておくれ」


そういう一節の詩がある。
この節からタイトルを想像してみて、という課題が、中学だったか小学校だったかにあった。いろいろな答えが出されていて、この節を秘密の恋人同士のデートでつぶやかれたのだと言った者もあった。
 本当のタイトルは「涙」という。
短すぎて、嬉しい涙なのか、悲しい涙なのかわからない。タイトルを知れば、またそれはどういう涙だったのかで想像が広がる。
 単純な詩の言葉に、その光景を想像するのは楽しい。でも詩はそれだけじゃない。

 父が癌で入院した頃、私は仕事帰りの自転車に乗って病院まで行ったが、父は眠っていて、疲れたような顔は父の本来の色白の肌をさらしていた。
帰り道は吹雪になっていて、力の抜けた私は歩いて夜の歩道を家へ帰った。風はさほどでもなかったが、雪は徐々に力を抜いて降っていて、見上げるとなるほど向こうの空が晴れかけている。雲間にちらりと月が見えた。
その時、私は唐突にさっきの「涙」の詩を思い出した。
そうして作者も実は悲しかったのかも知れない、誰かを見舞った帰りにどうしようもなくて涙を流して、でもそれは家族にも誰にも見せるべきではなくて、それを月にたとえたのかも知れない、と想像した。
 詩に感情をそわせて、私の涙はすこし矛先をそれて緩くなった。

 長くなったね。いつのまにか、月も静かに立ち去っていたようだ。今は名残の夜空に星が少しだけ見えているよ。
 でも、たぶん朝はまだ遠い。

 君はもう眠ったろうか。不安に駆られて声を上げて、誰かを困らせてはいないかな。
 おかしなものだね、若い頃からずっと、君に対して詩について語りたいと思ったことなどなかったけれど、君が言葉を持たないと知ってからのほうが、私は素直に君に語りかけることができるんだ。だって君はあのときも、詩など読まないと言い切ったしね。あのとき私は少し辛かった。
 一度だけ訪れた君のいる部屋で、心地よい春の風にさらされた、君の動かない手をとって、寒くないかと聞いた。
ただぼんやりと見返す君の瞳には誰もうつっていないけれど、こちらを見返すその顔を、いまもちゃんと思い出せる。明日はまた会えるしね。
 上弦の月がゆるゆると中空で見ている。
明日はふたりで海辺に行って、海にいるものは何かを考えながら長い長い散歩でもしよう。

2011.5.11 初稿
2012.10.02 校正
2012.10.04 校正

タイトル「詩に関する雑文、あるいは恋文」
あらため「詩を読まない友人へ詩をよむということはどういうことなのかを説明したくて書いた小作品」


散文(批評随筆小説等) 詩に関する雑文、あるいは恋文 Copyright bookofheaven 2013-11-08 13:44:04
notebook Home