カレンダー
アマメ庵

壁にカレンダーが掛けてある。

A3サイズくらいの大きなカレンダーで、今年の1月に会社の応接室の横にたくさん余っていたものの中から持ち帰って来たものだ、
京都の庭園と題されたカレンダーは、上部6割くらいを大きな写真が占め、下部分が2月分づつの暦になっている。
写真の部分は光沢のあるビニルのような素材で、暦部分は予定が書き込み易いためにか紙でできており、不景気な時勢には似つかわしくない贅沢なつくりだと思う。
10月、11月の写真は、真っ紅なモミジの向こうに枯山水の庭と濡れ縁が見える。
隅に小さく「京都、曼殊院」とある。

部屋には、テレビがない。
ラジオもない。
ちなみに電子レンジも、掃除機もないが、車は持っている。
なんだか、吉幾三さんの歌を連想させられる。
外で仕事をしているので、部屋にいないことが多いが、部屋にいるときは当然にこの部屋で食事もする。
部屋には目を向ける場所がこれといってないから、必然と言うか、見るとはなしにカレンダーの写真を見ていることが多い。
そもそも、部屋に色彩がない。
カーテンも、シーツもブラウンのとてもシンプルな柄のものだ。
置物やポスターの類はない。
取り込むのが面倒であると言う理由で部屋干しされた洗濯物は、濃紺か黒の作業服ばかり。
カレンダーさえなければ、部屋をモノクロームの写真にしたとしても、それがカラーなのかモノクロームなのかさえ判然としないような感じだ。

過去の写真はとっくに捨ててしまったが、たしか、雪、桜、ツツジ、盛夏ときて、当月のモミジである。
モミジは紅い。
目を見張るほどに紅い。
もちろん部屋にあるのは、ナマのモミジではなく、化学合成されたインクが表現したモミジだ。
モノクロームな部屋の中で、まさに異彩を放っている。
こんなことを書いていると、部屋に本物のモミジがあっても良いように思えるが、そんなことは非現実的だ。

いくらモミジの写真が目を引くと言っても、二ヶ月に及ぶ掲示期間には飽いてくる。
四季折々、日々移ろう庭ではなく、こちらは写真で二ヶ月間まったく変わらないのだ。
刻一刻とは言わないまでも、せめて日めくりなら良いが、それほど大層なカレンダーを配布する会社もないだろうし、日めくりにしたら重量がかさんで押しピンが持たないかも知れぬ。

先日、深夜のラジオ番組で岩手県の龍泉洞を紹介していた。
ラジオの紹介によれば、前兆数千メートルに及ぶ長大な鍾乳洞で、全容はまだ把握されていないと言う。
洞内にはいくつかの地底湖があり、その透明度は50メートルほどもあるそうだ。
インターネットで写真を見てみたが、大変に神秘的なところで、ぜひ行ってみたい。
京都の庭園とは異なって、こちらは一年中の気温も一定とのことである。
ただ何万年と言う時間を掛けて、極々僅かづつ成長する鍾乳石がある。
何万年も魅力を湛えるのだから、数ヶ月、あるいは一年のみの掲示で飽くようなことはないかも知れない。
来年、もしもあれば龍泉洞のカレンダーを所望したい。



散文(批評随筆小説等) カレンダー Copyright アマメ庵 2013-10-25 12:24:27
notebook Home 戻る