書く動力 1
Dr.Jaco

私は1999年の2月頃、何となく書くのを止めた。仕事的には、クビになりそうな
トラブルとかあってごちゃごちゃしていたし、33才にしてやっと(・・・というの
はあくまで私個人の問題だが・・・)結婚した頃でもあった。
結婚した、ということは、かつて一番愛していたはずの「言葉さん」とも、そろそろ
離縁してよござんすね、ってなこと考えていたかもしれない。
簡単に止められるようなものだったのね・・・と言われても仕方ないだろう。「書き
続けないと詩人は永遠に脱皮できない。第1詩集を出して、2番目を出せなかった人
は無数にいる。」なんて、私の好きな詩人が言ってた。
再び今書き始めた。そのこと自体はとるに足らないが、私が書き始める時に感じた動
力について話すのはすこしばかり意味のあることかもしれない。で、書く。

私は「言葉さん」と離縁して、そして復縁した。

「言葉さん」を愛する、という気持ちについて話をしようと思うといかにも嘘っぽい
ね、って、思われるかも知れない。実際嘘っぽいね、って、問いかけは繰り返される。
例えば「恋愛をする資格」なんて幻想が繰り返される。私は今年40才だ、と言えば、
いろんなイメージが繰り返される。でも私はここに顔写真を出したことは無いし、声
を出したことも無い。
でも、40才の恋に関するイメージが繰り返される。繰り返されることにうんざりする。

そのうんざりは「言葉さん」との営みそのものだから。
うんざりする反復の動力が詩作として結果し、いつでも中途半端である。
(中途半端、とは自分の書くものへの自己評価であるが、過激なことや、人を挑発す
るだけの中身の無い叫び声よりはましだ、とも思っている。)

この何年かに亘って、私は自分が書こうと思うものを1文字も書かなかった。その代
わりに仕事の文書は山ほど書いた。A4用紙に印刷したら、ホントに山になるだろう。
事務手続きに関する通知とか、商品のマニュアルとか、会社の規程とか、比較分析表
とか、種類は多いが、同じ会社のものだから、似たようなトーンになる。このトーン
の反復が延々続いた。大阪から青森に転勤した後も反復は継続したが、やがて自分の
中に変調を来した部分があるような気がして来た。

変調は別にはっきりと自覚された訳ではない。頚椎がヘルニア気味になったのを過剰
に意識しただけかもしれない。手足のしびれは危機感を煽った。何かしらヤバいと思
った。何かしら?
私はただ焦ったのだ「まがりなりにも幸せな今の生活が脅かされるんじゃないか」って。
結婚以来(子供は未だ無いが)幸せである、恵まれている。夫婦で食う金は稼げるし、
仕事も忙しいけどその日のうちに帰って来れるし、時間的に規則正しいし、休日には
自分でパスタを作っているし。
だから完治したとは言えない頚のしこりは未だに心配だが、変調の原因ではなかった。

変調はあるイメージが再びやって来たことによってもたらされた。
何度でも引きずり戻されるそのイメージは他愛もない。が、私は常に描写に失敗して
いる。
それは寝床の白いシーツに寄った皺の風景である。幼い頃の風景である。真っ白いシ
ーツに寝転がって、顔の側に手を持ってくる。指をシーツに押し当ててすっと滑らす
と皺が寄る。それが事実の全てだが、いくら私がアホでもその事実だけに吸い寄せら
れた訳でない。問題はその視界なのだ。

さて、視界には皺の寄ったシーツがあるのだが、その真っ白な視界にできる皺の影が
問題なのだ(既にここにおいても描写は失敗しているので、伝わらないのを承知しつ
つ・・・)。
皺には砂丘の日陰と日向のように境目ができる。白の中に黒でない暗がりができる。
その境目が愛おしいと思うのだ。

「言葉さん」はその境目でにこやかに手を振っている。でも未だ会ったことは無い。


散文(批評随筆小説等) 書く動力 1 Copyright Dr.Jaco 2005-01-08 23:52:53
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