それからはこぐまのサーカスばかり見て暮らした
伊織

夫は現業職であった
年を追うごとに疲労を取るための時間が必要となった
上の娘はキャリアであった
特別休暇はあるにはあったが行使するのは困難であった
下の娘は学生であった
結局就職は諦めたのだが精神的に不安定となった
かくて
一家の母であった人は高台の家へと送られた


市では一つのその場所に
足繁く通う人は思いの外多くない
せいぜい週に一回
良くて二回
汚れ物と新しい衣類の交換
それと
ほんの些細な罪滅ぼし


代わりによく訪れるのは
ボランティアの学生と
幼稚園や学校の子どもたちだ
学生は善意と熱意を持って
子どもたちは素直な感性を持って
接している


ところで
母であった人はかつて
みなこせんせい
であった
子どもたちの前では殊更にしゃんとして
具合のいいときには職員の許可を得てピアノを弾く
夕べ食事を食べたか否かは忘れていても
やぎさんゆうびんは指が憶えている


みなこせんせいの一日は
教室(レクリエーションルーム)の点検から始まり
そのあと園バスに添乗する

  「あれ?バス、運転手さんは?」
  「せんせい、今日は当番じゃありませんよ。」

バスに乗らない日のせんせいは
園庭(施設の庭)を手早く掃除して
空いた時間でその日の教材を確認する

  「あやせんせい、あの、ミーシャの、使ってる?」
  「それなら職員室ですよ。」

そうこうしているうちに朝食の時間がくるが
せんせいはあっという間に食べ終えてしまい
かといって散らかす子どもはここにはいない

  「職員室、どこ?」
  「ちょっと待っててくださいね。」

そうして
手には一冊の絵本
読み聞かせる相手は
空の椅子たちだった






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初出 2013/09/18
「あなたにパイを投げる人たち」の即興ゴルコンダ(仮)
http://anapai.com/CGI/cbbs/cbbs.cgi

お題はナナ・クマスキーさんです。


自由詩 それからはこぐまのサーカスばかり見て暮らした Copyright 伊織 2013-10-06 11:09:06
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