朝から どうでもいい話
佐々宝砂

最近「顔」について考えるようになった。『ゴシックハート』(高原英理)を読んだつながりで『へルター・スケルター』を読み返したくなり、さらに映画『顔のない目』のビデオも鑑賞しなおしてしまい、もののついでに楳図かずおを何冊か読んでしまい、ハンセン病文学者・風見治の『鼻の周辺』などというものまで本棚からひっぱりだしてしまった。そうしたらもう際限なく好奇心と恐怖心のない交ぜになったものがふくらみ、よせばいいのにマイケル・ジャクソンの顔の変遷を検索しちまい、ついつい「現実に顔を失った少女」「顔を持たずに生まれてきた少女」を紹介したサイトまで見つけてしまった。正月早々ここまでやっちまったら、もうまともな夢など見られるわけがない。いや。夢ではなく現実の問題として。私はいつまでまともな顔でいられるのだろうか。

私は美人ではないが、一応ふつうの顔をしている。口がでかくて、唇はガサガサでぽてっと厚いが、特に不便はしていない。歯が悪いのは不便しているが、自業自得なので仕方ない。鼻は小さいが、へこんでないし曲がってない。目はでかい。でも曲がってない。にきび痕はあるが傷跡はない。肌はきれいなほうだ。ま、道を歩いたら誰もがふりかえる!という容姿ではない。いい意味でも悪い意味でも。私はものすごい美人になりたいとは特に思わないが、今程度の容姿をなるべく維持したいという気持ちならある。いくら小さめの鼻だって、なくなったら悲しい。私の容姿など読者にとって本当に「どうでもいい話」の代表格だと思うが、本人にとっては重要だ。誰にとっても、自分の容姿は重要だ。「顔じゃないよ心だよ」なんて台詞は口にしないでもらいたい。いま私は気が立ってるから、そんなアホなことを言うやつは叩きのめして鼻を陥没させちまうぞ。

茶化さないで考えてみよう。顔の問題はデリケートだ。あなたも、実際に、自分自身の問題として、考えてみてほしい。自分の鼻が本当に陥没していて、全く隆起部分がなく、鼻の穴がふたつ並んでるだけだったらどうする? 突然そうなってしまったら、私は泣くと思う。私はスーパーのマネキンのバイトを時々やるが、顔のせいでできなくなるだろう。いまだって出不精だが、さらにひきこもりになってしまうだろう。小さな鼻でもいい、あきらかに整形手術で作ったような鼻でもいい、無様にふくらんだ団子っ鼻でもいい、なんでもいいから鼻がほしいと思うだろう。鼻というものは切実に大切なものなのだ。ハンセン病で鼻を失い、整形手術で鼻を作った風見治の『鼻の周辺』を読むと、鼻の重要性がいくらかわかる。

ネットでは顔が見えない。見えないから困るという人もあるが、見えないからいいのかもしれない。この話はまだ考えてみる価値があると思う。なので続く。


散文(批評随筆小説等) 朝から どうでもいい話 Copyright 佐々宝砂 2005-01-06 06:01:36
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