左右の奇妙な類似点(改訂版)
眠り羊

共産主義における
マルクスのように
日本の保守と呼ばれる人たちの
教科書といえる存在が
福沢諭吉なのではなかろうか

福沢諭吉は
頭で人を動かす人を
えらい人であるとし
そういう人になるために
学問をしろと言う

そうでない人のことは
徹底的に見下している

どうも人の上に立つこと自体に
価値を見ているようだ

発想の方向は
共産主義とは真逆だが
似ているところもある

社会のあり方に優劣をつけ
自分の考え方に
他者を従わせようとする
その度合いの強烈さだ

ある種の考え方が
無条件に正しいとするならば
それは宗教に近くなる

集団的な圧力で
立派なこと・そうあるべきことと
立派でないこと・あるべきでないことが
決まっていたら

思考の自動化
すなわち思考停止によって
集団の論理が
個人の意思より優先され
創造的な発想は脇に追いやられ
教科書どおりではない現実に
合理的に対応することは困難になる
無駄も大きくなる

どんなポジションにある人だって
万能ではないし
何が正しいか正しくないかも
固定的なものではない

学歴の高い人が
現実に有効な手が打てるかといえば
そうでもない
学歴のない人がダメかといえば
そうでもない

上の立場の人には
内容を問わず従わなくてはならない
という意識から脱しない限り
国民から離れたところで決められた負担を
国民が負わされ続ける状況
市民社会と呼べるのか
疑問符が付く状況が
続くのだろう

とにかく頑張っていれば
結果がどうあれ許されるならば
愚かさの責任は
誰も取らなくていいことになる

よかれと信じてこんなに頑張ったのだから
許してくれていいだろうという意識が
上に立つ者に仮にあったら
それはこの上もなくシュールな悲劇だ





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経済状況が悪すぎるのも困るが
かといってバブル時代が再来すればいいとも思わない。
バブルは崩壊する。
バブルと崩壊の無限地獄は勘弁願いたい。



自由詩 左右の奇妙な類似点(改訂版) Copyright 眠り羊 2013-07-09 12:28:19
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