朝の光景
オキ


吊るした鮟鱇の、ひとところに包丁を
入れると、ばさりとまとまって肉の落
ちる箇所がある。
「これで大分軽くなっただろう、あん
こうさん」
魚屋は、そう声をかけるようにしてい
る。
「ああ、楽になった。ところで魚屋よ、
俺は天国に行けるかな」
隙間だらけの骨の中から声が洩れる。
「行けるさ」
「どうしてそれが判る? お前みたいな
屑人間に」
「判るさ。奇しくもお前はいま、俺を屑
人間と呼んだが、あんこうさん、あんたは
俺みたいな屑みたいにちっぽけなものにも、
従順だったからな。『最も小さなものの一
人にしたのは、私にしたのである』って言
ったのは、誰かわかるか。あのキリストだ
ぜ」
「魚屋よ、お前の声が俺の耳に届かなくな
ってきたぜ」
「無理もねえ。肉が薄くて朝日が透けるほ
どだもんな。次は、あんたを買っていって、
料理してくれるお客さんに任せようぜ。
最後は、このあんこうおいしいね、と絶賛
してくれるその家の家族だ」

鮟鱇はもう話しかけてこない。
魚屋は蛇口を全開にして包丁を洗う。飛び
散るしぶきに、朝の光が反射する。
朝日は通りを行き交う車の屋根に、フロン
トガラスに、魚屋のショーウインドーに、
店先に並ぶ青魚に、水滴の光を微細な粒子
に砕いてばらまく。あるいは拡大して光の
洪水を現出させる。
日の出とともに、ごく自然に、されども容
赦なく、生きとし生けるものに光の洗礼を
浴びせる。朝が生まれる。新しい創生が始
まる。



散文(批評随筆小説等) 朝の光景 Copyright オキ 2013-02-20 01:04:37
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