その日
nonya
脳に転移していますね
ある日
余韻の残らない口調で担当医は言った
丁寧に覚悟を積み上げてきたはずなのに
質問をする私の声は上ずっていた
ひとつひとつ言葉を置くように説明する
担当医の声は次第に遠ざかり
冷たい光に浮かぶ他人事のような透視図を
私はただぼんやり見ていた
いつだってそうだった
地元の病院から大学病院に転院したその日に
母がいきなり癌の告知をされた時も
その後の放射線治療でごっそり抜け落ちた髪を
母が泣きながら拾い集めていた時も
私はただぼんやり見ていた
僅かばかりの質量のない言葉を
添えたような気もするが
私はただぼんやり見ていただけだった
おかっぱ頭の子が覗いているから追い払って
ある日
私が病室に入るなり母は真顔で言った
ブローブの指先が示すカーテンの隙間からは
清潔なクリーム色の壁が見えるだけだった
もちろんそこには誰もいるはずはなく
だからと言ってオカルトなどであるはずもない
前の日に私は叔父の名前で呼ばれたし
前の前の日には船で来たのかと訊かれた
母とは確執があった
思い込みが激しく世間体を気にし過ぎる
そんな母の態度がいつも息苦しかった
いなくなればいいのにと何度も思った
小さな亀裂は私が成長するにつれて
深い溝となっていた
溝を飛び越えて私は毎日母を見舞った
それでも壊れかけた母と交わす言葉は
あまりにも少なくて
帰り道はいつも後ろめたさを引きずりながら歩いた
苺を買ってきたよ
ある日
受け手のない声は病室の真ん中で失速した
丁寧に洗ってヘタをとった苺をふたつぶ
皿にのせてベッドテーブルの上に置いた
表情のないカーテンとベッドと点滴スタンドと母
白夜のような沈黙の中で苺だけが真っ赤だった
ゆっくり食べてねと言う声が僅かに震えた
小動物のように前歯で少しずつ苺をかじる母
おいしい?と訊くとコックリとうなずいた
母の形をした6歳の少女がそこにいた
もっと食べる?と訊くと首を左右に動かして
「いらない」と言った
いや 言ったような気がした
母と言葉を交わしたのはそれが最後だった
とても穏やかな冬晴れの午後だった
何かを話そうとして振り返ると
いつの間にか母は寝息をたてていた
時間だけがさらさらと零れ落ちていくばかりだった
容態が急変しました
その日
11月最後の夜
病院から電話があった
今度こそしっかりと覚悟を結び直して
タクシーで病院へ向かった
薄暗い迷路のような病棟の廊下をすり抜けて
病室に駆け込むと
数名の医師が母の傍らに影のように立っていた
息子さん来られましたよ
担当医が慈しみに満ちた声で呼びかけた
私も何か言わなければならないと思ったが
言葉が喉につかえて出てこない
息子さんが来られたから心拍が少し
担当医が言い終わる前に私の何処かが破れた
哀しさと悔しさと申し訳なさとあてどなさと安堵
そんなものが入り混じった汚い水が
私の中から一気に溢れ出した
私は子供みたいに泣きじゃくっていた
長い長いモラトリアムが終わった
つっかえ棒をはずされた私は哀しいくらい自由になって
決して晴れることのない霧の中へ投げ出された
なぜ分かっていたのに許してあげられなかったのだろう
なぜ恩と情の寸劇を上手く演じられなかったのだろう
私が優等生だったら良かったのだろうか
私がマザコンだったら良かったのだろうか
自分で自分を責めたところで誰も裁いてはくれない
裁かれない罪を自分の真ん中にしっかり抱え込んで
黙々と地の果てを目指すしかないんだよ
母は今でも時々私を叱る
私の左の耳たぶの裏側あたりで