はじめにお断りしておく。この文章には、『スター・レッド』のネタバレが含まれている。結末がわかってしまったら物語を楽しめないと思う人は、ここから先を読まないように。もっとも題材が萩尾望都なのだから、結末がわかった程度のことで作品の魅力は色あせないだろう。萩尾望都の作品は再読するたび味がかわる。そして、批評とは、再読という作業なのだと私は思う。
さて。エルグが何者かはまだまだわからないので、二回ほど他の話をする。『スター・レッド』には、性をトランスする二人の火星人が登場する。一人はセイとエルグを暗殺しようとするクロバ、もう一人はセイを守ろうとして死んだシラサギの弟ヨダカ。違う目的を持つふたりは、セイを追って一緒に地球を訪れる。
クロバは身体的には女性だが、子どもを生めない。生殖を重視する火星人たちのあいだで、子どもを生めない女に、女としての価値はない。そこでクロバは、男のような格好をし、男のように喋り、男のような仕事をする。セクシュアリティーはどうあれ、クロバの社会的性(=ジェンダー)は男性であり、火星人たちはクロバを男として扱う。それでクロバが個人として幸せかどうかはわからない。なんてことを書くと他人事のようだが、私個人にとって、クロバは実に他人でない。
クロバは掟を厳密に守る火星人なので、男のように生きろと言われたときに抵抗はしなかっただろう。それが自分の運命なのだと受け止めて、男についてゆけるように必死で自分を訓練しただろう。このあたりのことはマンガに描かれていないので、本当のところはわからない。全部私の想像だ。クロバは、きちんと命令を守り、一方できちんと自己主張する、自立した一個の人格を持っているように見える。だがクロバに鬱屈がないと言ったら嘘だろう。たとえば、クロバがサンシャイン(セイの友人、地球人、男、丸眼鏡にブロッコリみたいな髪)とショーチューを酌み交わすこんなシーンがある。
「エルグとちがって! オレのこと猛獣だと!」
「いやーおまえ女っぽいよ!美女だよ!ほーんと!」
「おまえも地球人にしちゃ話のわかりがいいじゃーん」
女扱いされたことのない地球人の女をこういうふうに扱うのは、どんなもんでしょうね、場合によっては危険が伴うよね、と私は思うのだが、火星人のクロバは女っぽいよと言われて割と素直に喜んでいる。まあ、見ようによっては可愛い。つまりこのひと、ジェンダーがどうあれ、セクシュアリティはおそらくふつうに女だ。
火星を破壊しようとする異星人たちに抵抗して、クロバは叫ぶ。
「クリュセを失ったら オレたちは種を断たれたと同じだ」
「新しい星はない オレたちは終わりだ!」
クロバが「種の存続」をこれほど強く意識するのは、クロバが女だからではない。クロバが火星人だからだ。男であれ女であれ、火星人にとって「種の存続」に勝る重要事はない。だからこそ、男であったヨダカは、なんのためらいもなく女になってしまうのだ。
というわけで、続く。
クリュセは火星の洞窟、火星においてはクリュセでしか子どもが生まれない。地球人から生まれても、クリュセで生まれたら火星人になる。世代を経るごとに超能力が強くなるので、火星人は世代を重視する。